酒井順子『負け犬の遠吠え』を読んだオス負け犬の感想

酒井順子のエッセイ『負け犬の遠吠え』をレビュー。

本書は2003年に出版され、「負け犬」という言葉は翌年の流行語大賞にノミネートされるほど社会現象になった。狭義には「30代以上子ナシ未婚女性」を意味する用語だったが、勝ち組/負け組という二分法が流行するきっかけにもなった。

社会的なインパクトばかり注目されがちだが、『負け犬の遠吠え』は読み物としても十分に楽しめる。15年経ってもまったく古臭く感じないのは、同世代女性向けの内輪ネタにとどまらない普遍的な真理を含んでいるからだと思う。

イヌ

勝ち負けなんて結局どうでもいいって話

著者は博報堂出身のエリート

酒井順子は高校時代から随筆家として活躍し、大学卒業後は広告代理店の博報堂で研究員を務めた才媛。文章力もさることながら、30代の独身女性を対象としたマーケティングのセンスは超一流だ。

社会学にも造詣が深く、厚生労働省の少子化に関する有識者会議にも参加しているほど。本書でも独身女性の生態を切り口にして、都市論や生物学にまで議論を広げている。

博報堂はその後も独身男女の研究を続けて、『超ソロ社会』や『ソロエコノミーの襲来』という本を出している。同じく大手広告代理店の電通が、消費者セグメントとして高齢者をリサーチしているのとは対照的だ。

読者層は働くキャリア女性

巻末に収められた小説家、林真理子の解説によると、本書の負け犬像は「高学歴、高収入の一流出版社の女性編集者」がモデルとされている。安野モヨコのマンガ『働きマン』に出てくる主人公みたいなイメージだろう。

仮想敵である既婚女性に対しては、「ブス」「ヤンキー」と容赦なく罵声が浴びせられる。

女性誌というのは、読みすぎるとバカになりますが、読まなさすぎるとブスになるのです。

酒井順子 『負け犬の遠吠え』

このように勝ち犬への皮肉ネタと、負け犬の自嘲ネタがセットで出てくるのが本書の特徴だ。

肩身の狭い思いをしていたキャリア志向の女性読者は、日ごろの不満を代弁してもらってすっきりしたことだろう。一方でターゲットでない既婚女性にとっても、「負け犬よりはマシ」という自己肯定感をもたらしてくれる。

結果的に両陣営から読まれて議論が盛り上がり、さらに女性心理を知りたい男性陣にも読まれたことが、ブームになった一因と思われる。

エッセイとしてのおもしろさ

酒井順子の文体は独特だ。

「ですます調」を基本に物腰柔らかく議論を展開させつつ、決めの自虐フレーズに入ると「だ・である調」もしくは体言止めで主張を強める。さらに本音トークでは「あー、うぜぇ!」という話し言葉も混ざってくる。

小説家の村上春樹もエッセイでは「だ・である」と「ですます」を混在させるが、酒井順子はそれに古語や難読語まで織り交ぜてくる。

妙齢女性に特有の「イタい・キモい」振る舞いは、「いみじくもすさまじい」と表現される。「含羞(がんしゅう)」なんて言葉は、この本を読んではじめて知った。

たとえが絶妙

酒井節の真骨頂は皮肉的な比喩表現にある。元広告屋らしいキャッチコピーが秀逸で、思わず笑い転げてしまう場面が多い。

日本に普及している「結婚してこそ一人前」という結婚規範は「子育て教」、家庭とは「子供という有機物を生産」するところ、勝ち犬とその子どもは「ヤンキー達の子孫」とこき下ろしている。

かつて結婚しない女性はクリスマスケーキ(25歳を過ぎたら売れ残り)と揶揄された。著者によると負け犬は「製造年月日が古い牛乳」と表現される。女性=乳製品というメタファーだけでなく、「母乳の劣化」という意味まで暗に含まれている。

勝ち犬と負け犬の違いは、本書で引用されている「アリとキリギリス」の童話をイメージするとわかりやすい。ターゲット層は「享楽的な恋愛体質者」という意味でキリギリスに該当するのだが、それをイヌという卑近な動物に言い換えたところが巧みだ。

「負け犬」という慣用句をベースにして、地場産・外来種・保護区・ブリーダーなどさまざまな連想ワードを絡めている。人でも虫でもなくイヌというところが、何か動物的な生々しさと物悲しさを想像させる。

女性版の徒然草

『負け犬の遠吠え』は女性的な視点で書かれた隠者文学として読むことができる。

吉田兼好は本書でも参照されているが、これとは別に『徒然草REMIX』という解説本も出しているほど、著者の『徒然草』に対する思い入れは深い。

REMIXの方では清少納言の『枕草子』と対比され、兼好法師が日記に書かなかった裏の意図まで推測されている。

こういう心理的な突っ込みの鋭さは女性ならでは。男性の書くエッセイで「みずからの不甲斐なさ」というのはあまり表に出てこないが、『負け犬の遠吠え』ではそれをさらすことが武器になっている。

内省しすぎると諦念にいたる

負け犬は「生物として不自然な時間的余裕を持っている」ことから、「この世に生まれてきた意味」など無駄に考えてしまうのがその特徴とされる。

勝ち犬達が、結婚生活の維持とか子育てといったことに躍起になっている間、負け犬はひたすら内省しながら生活しています。ああでもない、こうでもない…と考えていく結果、精神はずいぶんと擦れ、老成し、諦念のようなものが浮かんでくる。

酒井順子 『負け犬の遠吠え』

内省に時間を割くほど穏やかな諦観に達していくという洞察には共感を覚える。ここまでは男女共通の現象だが、そうして得られた無常観を自嘲につなげるところがユニークだ。

寅さんが女だったら…

著者が攻撃するのは、結婚・出産するのが「女としての幸せ」という世間に根付いた価値観である。

その一例として挙げられるのが映画の寅さん。家庭や仕事にとらわれず自由に生きるというスタイルは男性特有のもので、女性には許されないという不公平さが指摘されている。

寅さん的キャラクターは、男でしか成立し得ないものです。もし寅さんが女で、全国を巡りつつ淡い恋をする中年女という役柄だったら、そこに漂うのは濃厚な哀しみと痛々しさだけ。

酒井順子 『負け犬の遠吠え』

「女の世捨て人」というカテゴリーは寒々しくて、エンターテイメントとして成立しないことは自ら認めている。

そこにあえて挑んだのが『負け犬の遠吠え』。自身を負け犬と称しつつも、主張していることはまったく女々しくない。むしろ結婚した方が負けだといわばかりの、自己正当化・開き直りのパワーが魅力といえる。

しかし「年齢・子どもの有無」という定義によれば、何を言っても負けていることに変わりはない。全体に漂う一抹の虚しさを意識しつつ、あえてその傷口をえぐるところが自虐のきわみだ。

勝ち負け二分法の克服

本書には「こんな本を読んでいるという時点で、すでに負け犬」という感じで、読者も巻き込んだ二重三重のメタ言及が多く登場する。

読者の虚栄心を指摘してドキッとさせるのは、パスカルの『パンセ』にも出てくる古典的なテクニック。負け犬論においては、この言い回しが絶妙に効いてくる。なぜなら読者は自分が勝ち/負けどちらの側にいるか、常に気にしながら読んでいるからだ。

途中まで「自分はまだ捨てたもんじゃない」と思っていても、「読んでいる時点で負け犬」とバッサリ切り捨てられる。痛快このうえない。

負けるが勝ち、でもない

結局のところ「負けているのか、勝っているのか、よくわからない」という両義性こそが、『負け犬の遠吠え』の醍醐味ではないかと思う。勝ち負け二分法を前提しつつも、その論理を微妙に崩していく過程がスリリングに感じる。

負け犬を名乗って「負けるが勝ち」と開き直ったポーズをとってみても、客観的に負けていることに変わりない。そして著者は結婚規範自体を否定してはいない。むしろ経歴や容姿への自信から、「その気になれば結婚できる」というプライドがにじみ出ている。

結婚できないのは女性の社会進出が進んだことにより、男性が相対的に不甲斐なくなったせいでもある。本書にはそうした「オス負け犬」を糾弾するコラムや対談も収録されている。

直感主義論理の提案

佐藤優は『功利主義者の読書術』において、この本を「かなり高度な哲学書」と評している。

負け犬/勝ち犬という二分法は、アリストテレスの排中律に該当するという。そして論理的に破綻のない作業仮説をとなえつつも、分類の範疇を崩して新しい「直感主義論理」を生み出そうという試みらしい。

も一つ言うのであれば、幸福であることが良いことかどうかも、今となってはよくわからない。

酒井順子 『負け犬の遠吠え』

ここが『負け犬の遠吠え』でもっとも興味深いポイントといえる。

負け犬/勝ち犬という劇場で一人二役の批評パフォーマンスを繰り広げつつも、結局のところ「勝っても負けてもどうでもいい」という投げやりなコメントが最後の方に出てくる。

女性の二分類に関する長々しい議論で読者を消耗させ、「ほら、勝ち負けにこだわるなんて馬鹿らしいでしょ」と気づかせること。他人との比較に疲れた女性をそっと癒すようなやさしさを感じさせるところが、大ヒットした理由でないかと思う。

明るいソロ生活

締めくくりとして、こんな感じのブラックジョークが登場する。

今の若者たちが、私達負け犬の姿を見て「ああはなりたくない」と思い、急に結婚・出産に励むようになって一気に日本の少子化が解決する。

酒井順子 『負け犬の遠吠え』

確かに本書を読むと、ひねくれた負け犬を矯正するよりも、勝ち犬に2匹目、3匹目を生んでもらった方が少子化対策には効率的に思われてくる。

ほかにも「負け犬はその旺盛な消費活動により内需を増やし、都市文化の担い手になる」とか、ヤケクソ気味に前向きなコメントが飛び出してくる。

負け犬としてミジメな状態でいるよりは、ブリジット・ジョーンズみたいに明るく楽しいソロ生活を目指そうというメッセージが受け取れた。その方がまわりで見ている人たちにも好印象なのは、言うまでもない。

いまや負け犬は多数派

『負け犬の遠吠え』が出版されてから15年も経つと、40代の独身女性など、めずらしいものでも何でもなくなってしまった。振り返るとこれは、「おひとりさまの処世術」として将来的なニーズも見越した戦略的な本だったのだ。

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、2035年には未婚・離婚・死別を合わせた独身者率が48%になると予想されている。

長期的に見れば先進国・大都市における「負け犬の増加」という社会現象は、進行しつつある自然選択の結果とも考えられる。いずれ勝ち犬より負け犬の方が多数派になって、独り身でいることに何の負い目も感じなくなるだろう。

平成時代の風俗を記録した『負け犬の遠吠え』は、社会学的にも貴重な書物。エッセイの古典として、長く語り継がれそうな予感がする。

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