『レディ・プレイヤー1』映画の感想。元ネタ分析とVRの検証

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スティーブン・スピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』を鑑賞。

近年話題のVRやオンラインゲームをテーマにした作品で、オタク向けの研究要素が多く分析を楽しめた。しかしその結末は「ゲームなんてくだらない」という皮肉なメッセージだった。

けんこうさん

ゴーグルを捨てよ、町へ出よう

ゲーム依存症の克服がテーマ

流行りのVRをテーマにした映画と見せかけつつ、最後は主人公が虚構世界のむなしさに気づくというオチになっている。

運営権を受け継いだ仮想現実サービス(オアシス)に週2日の休日を設け、ほかのユーザーたちを正気に戻すというラスト。

まるでファミコン全盛期によく言われた「ゲームは1日1時間まで」という標語のようだ。

開発者ハリデーのジレンマ

すべての謎を解いた主人公ウェイドが知るのは、オアシスの開発者ジェームズ・ハリデーが孤独に悩んでいたという裏話だった。

成功したエンジニア・起業家として崇拝される存在でありながら、自分の人生について疑いを持っていた事実が明かされる。

全世界的な依存症=寡占状態をつくり出すことはビジネス的に理想だが、生みの親であるハリデーはそのむなしさ・危険性に気づいている。そのためオアシスの遺産をめぐって争う「アノラック・ゲーム」では、開発者の良心という隠れた感情が攻略のカギになっている。

ゲームを勝ち進める過程で、ウェイドはハリデーの苦悩や後悔に気づいて共感を寄せるようになる。そして莫大な富と利権を手にしても、彼とは同じ過ちを繰り返さないことを誓う。

徹底的に馬鹿にされているVR

実際のところ、映画全編にわたってVRは「アホらしい趣味」とみなされている。

オープニングでゴーグルを装着しつつ、ゲームに興じる老若男女が戯画的に描かれる。ウェイドと同居する叔母のヒモ、リックもオアシスのアイテム購入に廃課金するダメおやじ。

ここで表現されているのは、年齢を問わずあらゆる人々がオンラインゲームにのめり込んで破滅していく暗黒の未来だ。

『レディ・プレイヤー1』(以下『レディプレ』)の舞台設定は1982年のディズニー映画『トロン』と同じく、CGを駆使して表現されたサイバースペースだ。しかし実際はゲーマーに対して「現実に目を向けよう」というメッセージを伝える啓蒙的な映画だった。

高齢のスピルバーグ監督が、プライベートでDoomのようなFPSゲームに興じているとは思えない。まるでオタクを毛嫌いしつつもオタク向けの映画(エヴァンゲリオン)をつくる庵野秀明のようだ。

単なるサブカルチャー礼賛に終始するのではなく、王道的な結末を持ってくるのがスピルバーグ監督の手腕。オンラインゲームを扱った似たような映画『アヴァロン』などと比べても、見終えた印象はさわやかだった。

オタクとギークは違う

引用されるネタはゲームやアニメにとどまらず、映画や音楽まで多岐にわたる。

そもそも映画内でハリデーが好んだのは「ポップカルチャー(大衆文化)」と表現されているので、いわゆる日本のオタク趣味とは毛色が異なる。そしてスピルバーグ監督の趣味によるのか、ハイカルチャーの香りもそこはかとなく漂う。

『レディプレ』が取り上げているのは米国のギークやナード、ハッカー文化だ。

ゲームやアニメが好きでも本質的にはクリエイター気質の技術者。単にコンテンツを享受・消費するだけの受け身のユーザーではない。

主人公たちはIQ高めのエリート

ウェイドがマニアックな知識を披露するあたりはいかにもオタクだが、彼の知識はアニメやゲームにとどまらない。ハンドルネームの「パーシヴァル」も、出典はアーサー王伝説に出てくる円卓の騎士という古典ネタだ。

この映画に出てくる少年少女たちは、海外ドラマの『ビッグバン・セオリー』に登場するマヌケなエリート集団と似ている。

マニアックなのはIQの高い証拠。単なるオタクではなくギークなのだ。

そもそもリアル世界の風貌が、仮想世界のアバターと大差ない。サマンサは決して「体重140kgのデトロイトに住むニート」ではなかった。

ハリウッド映画の『レディプレ』では、花沢健吾の『ルサンチマン』というマンガのように「ゴーグルを取ったらハゲでメガネの太ったオッサンだった」という可笑しみはない。

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら…」というように、ヒロインの実体がブスだったらオアシスの歴史も変わったはずだ。それはそれで、また別のおもしろい映画になったと思う。

『レディプレ』の引用元を分析

作中にふんだんに散りばめられた80年代ポップカルチャーの引用は、中高年の鑑賞者を引きつける撒き餌といえる。

異様な密度で詰み込まれた元ネタを分析するのは『レディプレ』の醍醐味のひとつ。われながら初見で気づくことができたのは、Wikipediaにまとめられているうちの1/3程度だった。

映画の引用元はマイナーでマニアックなものばかりとは限らない。

重層的なパロディー

オープニングのBGMは、ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」という超メジャー曲だ。

デロリアンやXウイング、マッドマックスのインターセプターといった乗り物も、わりと広く知られたネタだと思う。

ヒロインのサマンサが実世界で登場する際に着ているTシャツ。プリントされているのはピーター・サヴィルがデザインしたジョイ・ディビジョンの1stアルバムだった。

白黒で表現されたワイヤフレームの質感が、レトロゲームをほうふつさせる。音楽・デザイン業界では広く知られた有名なアートワークだ。

悪役ノーラン・ソラントの側近、フナーレ・ザンダーという女優は『ブレードランナー2049』に出てくるレプリカントのラヴと似ている。制作時期が近いので真偽は不明だが、髪形も含めてそっくりなので意図的にマネしたように思われる。

そして『ブレードランナー』のシリーズは、オタク向けのB級作品というより映画史に残る金字塔だ。ましてやガンダムやゴジラとなれば、アメリカ人でも知らない人は少ないだろう。

一概にオタクやゲーマーといっても、興味や守備範囲は人それぞれだ。

『レディプレ』ではメジャーなネタからマイナーなネタまで、パロディーが多層構造で仕込まれている。そのため見る人の知識レベルによって、誰もが謎解き要素を楽しめるエンターテイメントとして成立している。

映画のネタが多い

一見したところ映画の中にはゲームやアニメが多く出てくるように見えるが、実は過去の映画作品からの引用も幅広い。

このあたりはスピルバーグ監督の趣味が反映されているのだろう。そして参照されている映画はどちらかというと玄人好みのものばかりだ。

シナリオは『市民ケーン』そのもの

たとえば「バラのつぼみ(rose bud)」というセリフの元ネタは1941年の『市民ケーン』という映画。ハリデーの遺言を謎解きしながら彼の人生をたどり、少年時代の思い出にたどりつくストーリーは、そのまま『市民ケーン』をなぞっている。

アノラック・ゲームの3つの鍵のうち、2番目に出てくる『シャイニング』は1980年に製作されたスタンリー・キューブリック監督のカルト映画。ポップカルチャーというよりは、難解なハイカルチャーに属する作品という印象を受ける。

映画終盤のアクションシーンは、クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』や、ウォシャウスキー兄弟『マトリックス』のパロディーともいえる。仮想世界と現実世界を交互に映して緊張感を高めるテクニックだ。

ひとつ目の鍵を探すレースゲームでマンハッタンの高層ビル群がグルグル回転するシーンは、『インセプション』のひとコマを連想させる。そしてIOI社長の名前はノーラン…。

仮想世界のOASISは略すとOS

ウォシャウスキー兄弟が映画化を果たせず「マトリックス」という名前だけ受け継げた、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(1984年)というSF小説がある。

そこに出てくる日本企業「オノ=センダイ(Ono-Sendai)」は略すとOS(オペレーティング・システム)になるオチだった。

『レディプレ』に登場するオンライゲームOASISも縮めると同じOS。

最初は80年代に販売された富士通製ワープロOASYSのパロディーかと思ったが、英語のつづりが違う。

アニメ映画の『サマーウォーズ』で描かれたメタバースの名前はOZ(オズ)。いずれもVRやサイバースペースをテーマにしたSFの古典『ニューロマンサー』に敬意を表しているように思われる。

主人公が暮らす「スタック」というスラムのような多層コンテナハウスは、サイバーパンクの定番モチーフだ。ウィリアム・ギブスンのスプロール三部作や、後年の橋シリーズにも登場する。

この文脈を知っている人には、冒頭10秒で映画の世界観を効率よく伝えることができる。

仮想世界と現実世界の混乱

『レディプレ』のシナリオは一種の並行世界もの。『マトリックス』と同じく仮想世界と現実世界を行き来するかたちになっている。

やけにフォトリアリスティックな『シャイニング』のホテルシーン以外、虚構世界のビジュアルはあえて「CGらしいCG」で統一されている。

ゲームであればリアルタイムレンダリングが必須であるため、あまりにリアルすぎるCGはかえって嘘くさい。そのためこの映画では「どちらが本当の現実か?」というフィリップ・K・ディック好みのトリックは出てこない。

そう思ってぼんやり見ていると、IOIの社長室にハッキングするシーンで一杯食わされるオチがある。

VR定番の夢落ちネタだ。

VR夢落ちによる仕返し

ウェイドが部屋の外に出て仮面を脱ぎ、アバターのパーシヴァルに戻るところで「おやっ?」と混乱する。

前後の文脈を考えれば、ウェイドとトシロウが警備網をかいくぐってリアルに社長室に出現するのは難しいはず。一連のシーンはゲーム世界の中につくられた虚構だったと気づかされる。

ノーラン社長の体験をとおして「夢から覚めたと思ったらまた夢だった」というSFの古典的モチーフを表現している。

またこのシーンは、前置きでパーシヴァルが社長室に召還される場面の裏返しになっている。要するにウェイドは同じ流儀をもってノーランにしっぺ返ししたといえる。

リアル世界におけるアバターの表現は、スピルバーグの『マイノリティ・リポート』に出てきたホログラムとよく似ている。そして現実顔の仮面をはいでCGキャラに戻るという逆転の発想は、『ミッション・インポッシブル』あたりのパロティーとも受け取れる。

『レディプレ』のVR考察

『レディプレ』の想定年代は2045年とされているが、登場するVRデバイスは妙に古臭い。

ゴーグル装置やトレッドミル型の歩行装置は今あるデバイスをなぞっている。これから20年も経てば、さすがにインターフェースは進化しているのではないかと思う。

VRデバイスが妙に古臭い

たとえばアニメ映画の『電脳コイル』に出てくるような、スマートなAR(拡張現実)グラスが普及していてもおかしくない。

しかし実際に歴史をたどると、VR関連のガジェットは50年前からたいして発展していない。

最新のOculusやPSVRといったヘッドセットも解像度や視野角は上がりこそすれ、見た目は昔ながらのヘッドマウントディスプレイ(HMD: Head-Mounted Display)そのものだ。

『レディプレ』に出てくるIOI製の視覚デバイスは、80年代にNASAが研究開発していた装置とあまり変わらない。

そのせいか「仮想世界を体験するのにわざわざHMDを使う」という行為自体がノスタルジーを感じさせる。むしろこの不自然な外観そのものをポップカルチャーとして取り上げているのかもしれない。

未来になってもVRはたいして進化しない」というスピルバーグ監督の予言とも受け取れる。

アバターの多様性はリアル

『レディプレ』に登場する仮想世界のオアシスは、2000年代に一世を風靡したSecond Lifeとよく似ている。

セカンドライフから派生した類似サービスも合わせた、ごった煮のパロディーといえる。たいていのアバターは人型だが、よく見るとハローキティなど変なヤツも混ざっている。

サマンサの操るキャラクター、アルテミスの爬虫類的な顔の造形は、映画『アバター』(2009年)とよく似ている。

アメリカ人好みのリアルなCGキャラだけでなく、アメーバピグのような2頭身キャラも混在しているのはリアリティーがある。

多国籍のオンラインサービスとしては、そのくらいアバターの設計に自由度があった方がいい。土地柄によって、受け入れられやすいキャラの表現というのは違ってくるからだ。

『サマーウォーズ』のOZくらい、わけのわからない抽象的なキャラが出てきてもよかったと思う。

悪役ノーランの隠れた魅力

敵役であるIOI社長のノーラン・ソレントは、最初から最後まで主人公たち若者ハッカーに翻弄されっぱなしだ。

ログイン・パスワードを覚えられず、デバイスの横に紙でメモしているセキュリティー観念の甘さは笑える。オジュヴォックスの天球やメカゴジラというチートアイテムを駆使しなければ、VR世界でもまともに戦えないという情けなさ。

最後は怒りにかられて我を忘れたのか、みずから車を運転してカーチェイスを挑む。そして逮捕後は部下のフナーレに殴られて退場する。

ダメ社長に同情する中高年

ノーラン社長は救いどころのない役回りだが、80年代に青春を過ごした観客層は思わずシンパシーを感じてしまうのではなかろうか。

今どき中高年がVRやAIと言われても、すんなりついていけるはずがない。『レディプレ』で感情移入しやすいのは、主人公の少年少女よりむしろ、やられ役のダメ社長の方だろう。

若い時代のノーランは、インターンとしてハリデーの開発を手伝っている。

マネタイズのアイデアを提案してみても、天才に軽くあしらわれてしまうのは同情を誘う。会社の中では単にコーヒーを運ぶだけのパシリと化している。

ノーラン・ソレントが提案するアイデアは映画の中でおとしめられているが、実際はビジネスとしての正攻法だ。ユーザーに序列をつけたり、攻略に有利になるアイテムに課金するのは普通のこと。

彼がその後成り上がったIOIという企業も世界第2位の規模なのだから、今でいえばAppleかMicrosoftに相当するポジションだろう。

現実世界でテックベンチャーが成長するには、ハリデーのような天才開発者だけでなくマネージャータイプの人間も必要とされる。

グレガリアスの事業モデルは謎

役員会でノーランがプレゼンする仮想世界への広告導入は的を射ている。

これに対してオアシスの開発会社であるグレガリアスが、どうやって運営に必要な収益を得ているかはにごされている。何億ものユーザーをバックアップするには、相当なサーバー・回線維持費用やスタッフの人件費がかかるはずだ。

IOIの債務取締局で利用料を徴収しているということは、オアシスにも月額/従量性かアイテム課金の仕組みがあるのだろう。どこかに射幸心をあおるガチャまで存在しているのかもしれない。

ヒモ男・リックのセリフによると、ゲーム内のアイテムはリアルマネーで買えるようだ。

ウェイドが「現実世界で働いてゲーム代を稼いでいる」という説明は出てこない。その代り、ほかのアバターが倒れて化けたコインを集めてスタミナを回復している。

オアシスの仮想世界でうまく立ち回れば、基本料金は無料で遊べるゲームのように思われる。おそらくプレイが有利になるアイテムだけ有料というフリーミアムモデルなのだろう。

そう考えるとウェイドがパーシヴァルの衣服やデロリアンを調達・改造するのにも、それなりにお金がかかっていそうに見える。

ヒットするコンテンツの秘訣

『レディ・プレイヤー1』は引用ネタの謎解きからVR技術の検証、シナリオ上のトリックを振り返るなど見どころがたくさんある。

こうして「研究しがいがある」という意味ではまさにオタク向け。逆にそこまで深追いせずぼーっと眺めているだけでも、娯楽映画として十分成立している。ふところの深い映画だと感じた。

娯楽要素とやり込み要素のバランス

アニメやゲームをモチーフとしながら、ここまで全世界的にヒットしたのはさすがハリウッド映画。マニア向けと大衆向けのさじ加減が絶妙といえる。

たとえば新海誠監督のアニメ映画も、本格的なSF要素とライトな恋愛感覚がミックスされているのが特徴だ。売れる映画の秘訣とは、熱心なファン層から一般人まで受け入れる間口の広さにあるのかもしれない。

わけの分からなさで観客を突き放さすことはないが、調べ始めれば沼にはまる重層的な構造になっている。

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「プレイヤー1」というからには、きっと「プレイヤー2」も想定されているのだろう。ぜひ続編に期待したい。