京都の河井寛次郎記念館。清水寺とセットで見たい陶芸家の工房兼住居

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陶芸をやっている友人にすすめられて、東山五条の河合寛次郎記念館に行ってみた。入館料は大人900円とやや高いが、アトリエ兼住居の古い町家と陶芸作品をセットで鑑賞できる。駒場の日本民藝館や、多治見のギャルリももぐさが好きな人なら気に入ってもらえるだろう。

母屋に置いてあった、海外向けに英語で書かれた「日本の美術館・ギャラリーガイド」を見ていたら、京都編ではかなりレコメンドされていた。日曜の午前中だが、外国人の家族連れも見学に来ていて、結構賑わっている。あとで調べたら書籍の翻訳版も出ていた。

外国の美術史家の目線で評価した美術館というのがおもしろい。海外向けのガイドブックに掲載されると、「なんでこんなところに大勢外国人が?」という現象が起こり得る。東京都内で紹介されているのは、太田記念美術館や旧朝倉家住宅…近くに住んでいるのに渋すぎて行ったことがない。

河合寛次郎記念館の構造と見どころ

五条の大通りからちょっと脇道を入ったところに記念館はある。京町家といっても、ウナギの寝床というよりは、中庭も離れもある豪邸だ。母屋は二階建てで、立派な中庭があるのはいいとして、陶房の奥に巨大な登り窯が控えている。じっくり見ると1時間くらいは滞在できる施設だ。

入ってすぐの母屋1階には休憩スペースがあり、関連書籍やカタログが並んでいるので、パラパラ見ながら時間を過ごすのも風情がある。階段箪笥で2階に上ると、部屋が3つと仕事用のデスクが置いてある。

中央部分がダイナミックな吹き抜けになっているのがおもしろい。コンパクトな空間だが、上下階でコミュニケーションを取りやすそうだ。

1階に下りて、中庭を見ながら展示スペースになっている廊下を抜けると、素焼き窯がある。素焼き段階では600~700度で8時間熱する。当時は木造家屋の中で火を起こすのだから、相当注意したことだろう。あちこちに火の用心の札が貼ってあった。

素焼き窯に併設して小さい茶室があり、中庭に面して藤棚を眺められるようになっている。陶房の前の藤棚は、寛次郎のお気に入りの作業スペースであったそうだ。見事に手入れされている。アトリエでは陶芸の作品以外にも、轆轤や学生時代のノートが展示されている。

さらに奥に進むと、斜面に沿って6個くらいの窯が連なる登り窯が設置されている。素焼きの後に火力1,350度で二昼夜、薪を燃やし続けたという。

町家が立て込んだ区画に、こんな巨大な窯があるというのが意外だった。隣の家の庭から煙が出ていて、焚き火でもやっているのかと思って見たら火力発電所があった、というくらい驚きだろう。正直こんな物騒な家の隣には住みたくない。

なかなかいい感じの和風アンティーク家具

建物と作品に並んで、ところどころ置いてある家具もいい味を出している。和風のミニマリズムを究めた曲木の椅子や、3本脚のこのチェアは今でもかなり斬新に見える。

収納と階段を兼ねた階段箪笥も関西の町家では定番だが、改めて見ると構造的にもしっかりして合理的な道具に思われる。アンティークで買っても置き場に困るかもしれないが、猫には人気の遊び場になるだろう。

河合寛次郎の経歴と作品

河合寛次郎については全然知らなかったが、明治期に東京高等工業学校の窯業科に入学して、京都市の陶磁器試験場に入所し釉薬の研究をしていたアカデミックな経歴らしい。作品づくりも始めて、30歳で現在の場所にあった登り窯を譲り受けて独立。以降は高島屋で個展を行いつつ、戦後は道を究めて、独創的なかたちの焼き物や木彫、金工細工を残している。客観的には、順風満帆で幸せな生涯だったことだろう。

初期の作品は形に凝った置物が多く、中期は実用的な器、後期になると理解不能なオブジェと化していく印象だった。木工・金工となるとほぼ抽象アートで、これなどは岡本太郎が入っているというか、ウンベルト・ボッチョーニのイタリア未来派彫刻を彷彿とさせる名作だ。Unique Form of Continuity in Space.

京都観光でお寺を見飽きたら、こういう町家とか庶民の建物を覗いてみるのもよいかと思う。東山の清水寺に近いので、余裕があればついでに寄ってみるのがおすすめだ。