スマホゲームでガチャより怖い「スタミナ制」という依存要素

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ゲームに関する依存症について調べてみると、一般的にはソシャゲの「ガチャ」が危ないと言われている。ガチャは課金が前提で、しかも宝くじのように確率的にしかレアキャラが当たらない。刺激的な画面演出など含めて、病みつきになる人が出てきてもおかしくない。

しかし実際にスマホゲームで遊んでいると、ガチャよりも「スタミナ」という概念の方が、中毒性が高いと思った。具体的にはロマサガRSが対象だが、ほかのソシャゲも似たようなものだろう。

スタミナは課金して増やせる

スマホゲームで一般的な「スタミナ」とは、昔のRPGになかった概念だ。戦闘を重ねるごとに消費され、足りなくなると行動不能になる。そのためRPGに必須の「レベル上げ」というプロセスも、回数に縛りがある。

道場でキャラを鍛えたり、装備を強化したり、ミニゲーム的な要素はスタミナがなくても楽しめる。しかしスタミナを消費して実戦を重ね、経験値を増やしたり能力値・技レベルを上げたりしないと、本格的にキャラを育成することはできない。

スタミナはジュエルを消費して補充することができる。ジュエルはガチャを回すのにも必要とされ、現実世界のお金を払って買うことができる。それ以外にも、クエストやイベントのクリア初回や、無数に設けられたミッションをこなすと、少しずつ与えられる。

スタミナは自動回復する

一方、その他のゲーム内活動(スタイル限界突破・装備品強化など)には、オーラムという別のゲーム内通貨が使用される。

ジュエル、スタミナ、オーラム

左から、ジュエル、スタミナ、オーラム

こちらもジュエルと同じく、ミッションクリアやイベントで手に入る。ただしジュエルより入手条件がゆるく、毎回の戦闘後にも手に入る。そしてオーラムではスタミナ補給したり、ガチャを回したりできない。そのため、ゲーム内における希少価値はジュエルに劣る。

要するに、ジュエルでしか補充できないスタミナとは、ガチャと同じレベルの課金ファクターなのだ。ゲーム内に2種類の通貨があるのでまぎらわしいが、お金=ジュエル→ガチャ or スタミナという流れになっている。

ゲームで遊ぶ時間を延ばしたかったら、ジュエルを購入してスタミナを増やすことができる。一方、無課金のポリシーを通すなら、仕事中や寝ている間などにスタミナが自動回復するのを待つしかない。

初代サガの武器使用回数と似ている

ある意味スタミナとは、ゲーム内に現実世界の要素を取り入れた、リアルな縛り条件といえる。1989年にGB版の初代Sa・Gaが発売されたとき、ゲーム内で購入する武器に使用回数の制限があったのを思い出す。

「ロングソード 50」「パンチ 99」など、戦闘で使用するたびに数字が減っていき、0になると使えなくなってしまう。「耐用年数・減価償却」という経理の概念は、サガから学んだ気がする。

オンライン版のFFで、装備品に「耐久度」という概念が導入されたのも同じイメージだ。劣化して性能が下がった武器や防具は、ゲーム内でお金を払って修理しないとまともに使えない、シビアなルールだった。

そのため、ロマサガRSおよび一般的なソシャゲにおけるスタミナ概念とは、「行動に制約を設けてゲームをおもしろくする要素」とも考えられる。「今日はあと○回戦えるから、△と□のクエストをこなして、ぎりぎりミッションクリア」とか、頭を使って攻略する必要が出てくる。

スタミナ課金はむしろ健全

スタミナをジュエルすなわちリアルマネーで購入できるという点については、特に違和感がない。無料でインストールしたアプリで遊び続けるには、課金が必要。ゲーセンと同じで、広告を見せられたりするより、直接的でわかりやすい。

ガチャを回すよりスタミナを補充するために課金する方が、ユーザーとしてはむしろ健全でないかと思われる。あるいは「もっと長く遊びたい」という動機付けに成功しているので、ゲームそれ自体がうまくつくられていると評価することもできる。

課金しない選択肢もある

スタミナ課金するシチュエーションとしては、プレイ時間の限られた人が「昼休み1時間の間に、期間限定ミッションをできるだけこなしておきたい」というような感じだ。

  1. ここぞというタイミングで集中的にプレイしたい人は、どうぞ課金してください
  2. 別にそこまで急いでいない人は、無料で自然回復するのを待ってください

少なくともプレイヤー側に、わかりやすい選択肢が与えられている。それを理解したうえでスタミナ補給にお金を払うのは、別に悪くないと思う。

むしろロマサガRSのような、よくできたおもしろいゲームで、何十時間も無料でプレイさせてもらっているのは申し訳ない気すらしてくる。ゲーム内の難易度バランスにもよるが、少なくとも今のところロマサガRSに関しては、なぜか「課金しなくても十分遊べる」というオプションが存在している。

ゲーム内の「スタミナ」に依存する心理

それではなぜ「スタミナ」が危険かというと、課金とは別のところで強力な依存性をはらんでいるからだ。ひとことで言うと「たまったスタミナを使わないのはもったいない」という感覚だ。以下はスタミナ回復に対しても「無課金」という前提で話を進めたい。

ゲーム序盤はプレイヤーレベルの向上に必要な経験値が少ないので、頻繁にレベルアップする。それと同時にスタミナも一定数補給されるので、枯渇することを気にせずにガンガン戦闘回数を重ねられる。

中盤から「クエストに必要なスタミナ数」が大きくなるが、「スタミナの自然回復速度」は変わらない。その結果、スタミナ枯渇後の自然回復待機時間がどんどん長くなる。序盤は3時間で満タンになったスタミナが、8時間かけないとフルで回復しなくなる。

そこまで来ると、スタミナとはゲーム内でジュエルに近い貴重なリソースになる。交換対象のジュエルはリアルマネーと等価なので、自然回復するスタミナもお金と同じ価値を帯びてくる。

そのため、うっかりスタミナ満タンになった状態でスマホを放置していたりすると、「機会損失」という罪悪感にさいなまれるようになる。理想的には仕事や家事、睡眠など、スマホを触れない時間はすべてスタミナ回復に回したい。

日々ルーチン化するスタミナ消費・回復のサイクルについては、別の記事でまとめてみた

待機時間が延びるメリット

スタミナの自然回復速度は変わらないのに、適切なレベルのバトルに要するスタミナ消費量が増えるのいうのは、絶妙なバランス設定だ。やり込めばやり込むほど、長くプレイできない仕組みになっている。

しかし、プレイヤーレベルが上がってスタミナ回復の待機時間が8時間を超えてくると、ゲームを意識せずにぐっすり眠れる。朝と夜だけスタミナを使い切ればよいので、序盤のように1日に何度もプレイする必要がない。

そのうち「3日に1回バトル(毎日ログイン・無料ガチャだけ回す)」という生活パターンになる気がする。レベルが上がるほどスタミナ回復サイクルが長くなるというのは、皮肉にも依存から抜けられるきっかけにもなる。

無課金なのに依存症?

ここまでスタミナの効率的消費が習慣化すると、日常的に常にゲーム内のスタミナ回復を気にするようになる。

「あと○時間で満タンになるからゲームできる時間を確保しよう」とか、「寝る前にレベルアップ直前までプレイして、翌朝効率よくレベルアップ(スタミナ補給)されるようにしておこう」など。

状況からすると明らかに依存症なのだが、ガチャのように課金していないので、問題が表面化しにくい。「生活に支障をきたす」のは事実だが、直接的に「他人に迷惑をかける」わけでもない。

「お金のかからないギャンブル」が社会問題になることなど、あり得るだろうか。依存症が話題になるのは、借金がかさむとか仕事ができなくなるとか、実社会に害が生じるときだ。お金は賭けないけど、競馬場で馬を見るのが好きな人もいる。そういう人を依存症とみなすのは、なかなか難しい。

依存症や精神病というのは、0か1かで割り切れるデジタルな概念でない。ただし保険適用や診療報酬という制度上は、一定のルールを設けないと収拾がつかない難しさがある。

ゲーム内貯金という心がけ

さらにややこしいのは、スタミナをセーブする感覚が、実生活の貯金とよく似ていることだ。それは依存症というよりも、「節制」という古くから認められる美徳と結びついている。

たとえゲームの中であっても、スタミナという無料でもらえる貴重なリソースが存在するなら、なるべく効率よく使いたい。そして使うあてがなければ貯めておきたいと考えるのは、人間のサガなのだろうか。

自分はもともと節約や資産運用が趣味といえるくらい好きだ。頭の中では常に金融商品の利回りや、共済制度の節税効果をシミュレーションしていたりする。そしてロマサガRSのスタミナ配分について考えると、リアルマネーの運用について考えるのと同じくらいワクワクできる。

もしかするとソシャゲの無課金プレイは、貯金や節約のトレーニングとして現実でも役にたつかもしれない。浪費癖のある人は、いっさい課金しないでスマホゲームをして、ゲーム内通貨やスタミナをじわじわ溜めるよろこびを味わってみてはどうだろう。

農場・牧場ゲームとの共通点

明らかに課金目的のガチャに比べると、スタミナ制の罪は軽い。しかし、「本来ガチャに興味のないユーザーもゲームのとりこにする」という意味で、その影響力はあなどれない。

ソシャゲ以前に、農場・牧場ゲームがあれほど流行ったのも、「自然に育つ→収穫する」というプロセスに依存性が含まれていたからでなかろうか。人類が遺伝的に「リソースを大事にする」という習性を身につけたため、たとえゲームの世界であっても資源を無駄にするのは心が痛む。

原木に「なめこ」を生やしたり、縁側に猫を集めたりするだけのゲームに、なぜあれほど熱中できたのか。それはレアな「なめこ」を収穫することで、報酬を得られる回路が脳内に形成されていたからだろう。

スタミナ依存は悪なのか?

悪名高いガチャと比べれば、スタミナに対する課金のインセンティブは低い。しかしプロセス型の依存対象としては、ガチャ以上にうまく機能する可能性を秘めている。

スタミナは日常的にプレイヤーにゲームのことをえさせ、習慣化させるためのトリガー。あくまでガチャ課金にいたるまでの、地ならしという印象だ。そして節約意識の高い無課金ユーザーであっても、ゲームに依存させるうまい仕組みになっている。

まるで水道の蛇口から水が垂れ流しになっているのを見るように、ゲーム内のスタミナを無駄に消費したり有効活用できないのは、もったいなく感じる。これは節約という良い心がけなのか、依存という悪い状態なのか、よくわからない。

ひとまず無課金なら害は少なそうだが、表に出てくる現象としては、依存症に近いメカニズムであることは間違いない。もしMRIでログイン時の脳を撮影してみれば、ギャンブルと似たような反応が出ていると思う。