pha『ニートの歩き方』感想。人は誰もがニートという真実

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京大卒・日本一有名なニートの肩書きで有名なpha(ふぁ)さんの著作。2012年に出た『ニートの歩き方』を読んでみた。

ニートのライフスタイルを紹介しつつも、深い人生哲学が見え隠れする。根拠のないニート礼賛ではなく、「ニートとして生きる覚悟」を表明した思想書といえる。

身内にニートがいる立場からすると、ニートを支える家族に対しては、あまり役に立たない本だ。しかしニート本人がこれを読んで自己肯定感が増してくれるなら、そっと差し入れてみたい気もする。

ニート≠ひきこもり

『ニートの歩き方』はタイトルどおり、当時若年無業者だった著者の生活を紹介したものだ。

ただしいわゆる「ニート=ひきこもり」というイメージではなく、みずから企画したギークハウスというシェアハウスで仲間と集団生活を送っている。

さらにインターネット上の活動から月7~8万の収入を得て自活しており、すでにネオニートと呼べる上位概念に進化している。

「仕事も通学もしていない15~34歳」という定義の上ではニートだが、むしろフリーランスや起業家といった方がふさわしい。phaさんは並みの社会人などよりも、よっぽど生産的なニートといえる。

ニートという方便

この本のテーマは別に「ニート」でなくてもよかったと思う。セミリタイア、ミニマリスト、世捨て人や出家と言い換えても十分通用する普遍性をもっている。

今から振り返ると2000年代にたまたまニートという用語がバズっていて、ブームにうまく乗っかっただけともいえる。本を売りたい編集側の意向もあったのだろう。

収録されている写真は「いかにも最底辺」という見た目の狭くて汚らしい部屋や、ニートたちが路上でたむろする姿を写している。読者の「怖いもの見たさ」という期待に応える一方、著者もこのコンセプトを偽悪的に楽しんでいるように見える。

「日本一のニート」というキャッチコピー、「Pha(ふぁ)」という謎めいたハンドルネーム、微妙にぶれたプロフィール写真など、裏では周到にデザインされたマーケティング戦略がうかがえる。

ニートの利点

読み進めるにつれて、「さぞかし悲惨だろう」と思われたニート生活が別にそうでもないらしい。勤め人から見ると、むしろうらやましくすら見えてしまう。

ニートの方が上等で勝ち組というのは錯覚。しかし理屈で考えると案外そうとも言い切れない。ニートにはニートの言い分があり、ニートも決して捨てたものではない。

まずシェアハウスを運営する場合、「一家に一人はニートがいると便利」と説明されている。宅配便の受け取り、猫の世話、洗濯物の取り入れ、コミュニケーションの促進など、常駐の管理人がいれば確かに有利だと思う。

そこから「仕事が忙しくて家事が間に合わない人の家にニートを派遣する」とか、なかなかすごいサービスが提案されている。

サービス化して対価を受け取る時点で労働者=ニートでなくなるとも言える。しかし「フレキシブルに動ける人材」という意味では、シェアリングエコノミーの世界でニートが活躍できる分野はいろいろ出てきそうだ。

ニート道

そうして常識や既成概念を揺さぶった後に、一種の理想的生き方として「ニート道」のようなものが説かれるところは著者一流のジョーク。

たとえニートでも、生きるうえで「向上心」や「目標」は必要でないかと問いかける。そして過去に習っていた合気道を例に、「力で対抗せず自分が楽に動ける場所に移る」という方法論を展開している。

アスリートがそのうち現役を退いてコーチになるみたいに、ニートもそのうち現役を退いて、現役のニートを支援する側に回るものなのかもしれない。

(…中略…)

ニートが時間が経つにつれてニートを支える側に回り、そしてまた新たなニートが生まれていく、というサイクルが世界では回っているのかもしれないと思う。

pha 『ニートの歩き方』

まるでスポーツや武道のように、若手ニートを教育するシニアニートのような職能が描かれている。確かにニート対策の福祉事業と噛み合えば実現できそうな事業モデルだ。

そもそもみんな生まれたときはニートだし、死ぬときもだいたいニート

という結論からすると、ニート問題は他人事でない。いまや老後の孤立問題は誰もが直面せざるを得ない未来であり、ニートの哲学はそのまま引退後の処世術としても通用する。

ニートの稼ぎ方

本書で紹介されるネットを介したマネタイズ手法は、今では昔ほど簡単に通用しない。

著者自身もブックオフで安く仕入れた古本をネットで売る「せどり」を例に、「五年もすると状況が変わって同じやりでは稼げなくなってくる」と補足している。

個人がウェブサイトに広告を出して月数万稼ぐというのも、10年前よりずいぶんハードルが上がったように思う。参入者が増え、アフィリエイトの紹介率や単価も下がった。

ツイッターも当時の牧歌的な状況からはずいぶん様変わりしている。相当戦略的かつ継続的に関わらないとフォロワーは増えないだろう。

最近の若手ニートの活動を見ると、専門特化したアフィリエイトやYouTubeで稼いでいるように見える。そこまでクリエイティブだと、もはやニートという自嘲的な呼び方は合わない気もしてくる。

phaさんにとってブログからライター業、商業出版に軸足を移したのは自然な流れだったように思う。一定数のファンを獲得してから、出版社を介さず同人誌やnoteで著作を売り利益率を高めるのは、ビジネスとして王道ともいえる。

ニートの仲間たち

『ニートの歩き方』を読んで、個人的に共感を覚えるのは以下のような主張。

  • ニートにも社畜にも向き不向きがあり、適材適所
  • 仕事を辞めた理由のひとつが「毎日好きな時間まで寝ていたい」
  • ほとんどのことは自分がやらなくても他の誰かがやる
  • 人はいずれ死ぬ。人間のすることは宇宙の歴史から見ればゴミみたいなもの

誰でもたいてい考えそうなことだが、それをニートという生き方を選んで徹底的に追及しているのがphaさんのオリジナリティーでないだろうか。

本書で紹介されている坂口恭平さんや高村友也さんの生き様を見ていても、似たようなものを感じる。生きる意味とか働く理由とか、答えるのが難しい原理的な問いに対してまじめに考えすぎるタイプ。

誠実すぎるために普通に暮らすのが難しく、高学歴でもアカデミックな世界にはそぐわず、在野のクリエイター・哲学者として活躍している人たちのひとりに見える。

ニートの普遍性

世間の同調圧力に反する「がんばらない」「ゆるい」「諦める」といった逆説的なメッセージは、古来の隠者文学に共通するものがある。

とはいえ「働いたら負け」とか煽りすぎず、あくまで穏やかに相対的価値観を提示するのがphaさんの持ち味。

既成概念の否定にとどまらず、「働かない働き方」といった逆説的労働観を追求するところがいかにも京大生らしい。同世代の京大出身作家、万城目学の『鴨川ホルモー』や森見登美彦の『四畳半神話大系』を連想させるノリがある。

先日書店のトークショーでご本人の話しぶりを拝見したが、本と同じように言葉を選んで朴訥と語る印象だった。今はもう年齢的にニートと名乗っておらず、どちらかというと作家らしい落ち着いた雰囲気を感じた。

嫌な場所には行かなくていいし、嫌いな奴には会わなくていいし、自分の居心地の良い場所に行って、自分のやりたいことだけしていればいい。人生なんて本当はたったそれだけのシンプルなものだ。悪い場所からはできるだけ早く逃げよう。

pha 『ニートの歩き方』

本書の冒頭で有名な「メキシコの漁師」という小話が引用されている。phaさんにとって自然なライフスタイルを実現しやすいのが、たまたま会社員よりニートだっただけなのだろう。

時間が経てばニートを卒業する人もいるし、中年になってからニートを選ぶ人もいる。そして老後は誰もがニート。

そう考えると狭義のニートには向き不向きがあるが、ある程度の孤独や貧困耐性というのは人として身に着けておくべきスキルでないかと思う。

ニートに限らず何かしら主流でない生き方でも、生態系の中ではニッチな居場所を与えられる。死なない程度には何とか食べていける。

たとえマイノリティーでも精神的に病まずにサバイバルできる。そういう勇気を与えてくれる本だった。

ニートのその後

本書の刊行から8年経ち、以前ほど「ニート」という言葉を聞かなくなったような気がする。

バズワードとしての流行が終わり、単に飽きられただけ。あるいは「サラリーマン」「フリーター」といった一定の生活スタイルを示す用語として、十分に定着した結果とも考えられる。

相変わらず引きこもりになる人は増えていると思うし、10年前からニートだった人は順当にスネップへと移行していることだろう。

たいしてメディアに取り上げられなくなっただけで、状況は変わっていない。むしろ引きこもりと親の高齢化が8050問題と呼ばれるくらい、社会問題としては深刻化している。

NEETとSNEPの違い

イギリスにおけるニートの定義は(NEET: Not in Education, Employment or Training)で就学・就労・職業訓練の有無が重視されている。日本では15~34歳の若年層という年齢制限付きで、仕事も通学も家事もしていない若年無業者という定義。

ニートが35歳を超えると、一般的にはスネップ(SNEP: Solitary Non-Employed Persons)、孤立無業者と呼ばれるようになる。ただしこの呼称は和製英語でもあるせいか、あまり世間に普及していないように見える。

ネーミングとしては「親のすねをかじるスネ夫」という語感がしっくりくる。ニートがneat(きちんとした、こぎれいな)と同じ発音なのも同様、この手の差別的な用語には妙な含みがある。

ニートに比べてスネップは就労より孤立という点が重視されている。未婚・無業は当然として単独世帯、もしくは親元で暮らしていても家族としか顔を合わせないことが条件。友人・知人と会う機会があるなら、スネップには該当しない。

スネップ=8050問題

定義上はニートが自動的にスネップに繰り上がるわけではなく、「身内以外の対人関係がない」という制約が加わる。

ニートの「働かない、学ばない、生産しない」といった社会から見た判断基準に対して、スネップには何となく「ひとりで寂しそう」という個人的ニュアンスがある。

しかし友人や知人の有無、数が多いかどうかなど、他人から見ればわりとどうでもいい要素だ。むしろ群れない生き方を選ぶ人の方が、精神的に健全と見る向きもある。

単に孤立していても当事者・関係者以外に直接的被害がないため、国として支援するとかそういう話にもなりにくい。

スネップが悲惨に聞こえるのは「孤立」の側面ではなく、無業のまま高齢化したニートという得体のしれない不気味さがあるからではないだろうか。

引きこもりの親が死んだらどうなるのだろう、生活保護が増えて税負担が増すのだろうか、やけっぱちで外に出てきて犯罪が起きたりするのだろうか…そういった世間の不安を示す意味では、スネップの根は8050問題と同じに思われる。

ニートの自己責任論

孤立死、無理心中、死体遺棄といったえげつない結末、生活保護や年金の不正受給といった社会的コストの増加を心配されるから、ニートもスネップもネガティブな意味で注目される。

GDP(国内総生産)に貢献しないとかいった曖昧な理由よりも、不公平な税負担という側面の方がわかりやすい。

単に引きこもって誰にも迷惑かけずに死ぬならそこまで問題にはならない。そういう世捨て人とか隠遁者という人種は、いつの時代でも一定割合で存在するものだ。

ニートが生きるにもニートを生かすにもお金が必要。

自己責任論は避けて通れないテーマだが、『ニートの歩き方』はこの点に関して「全部自己責任でも社会のせいでもない」というニュートラルな見解を示していた。

歴史的に見てニートや貧困層の救済措置には正解がない。いつの時代もどんな社会でも通用する、100%正しい政策など存在しないのだろう。

ニート内格差

本書を読む限り、少なくとも著者は自分が暮らしていける程度にネットで稼ぎ、ギークハウスというインフラやコミュニティーをつくって自活している。そこには事業家・プログラマーらしいシステム化の発想がある。

人間関係の豊かさという面ではスネップはもとより、たいていの人より恵まれているようにも見える。ニートでも「他人に迷惑をかけない」という点に関しては徹底していて、仲間が多いのはphaさんの人徳によるのだろう。

著者は元ニートだが、スネップにはならなかった。そもそも実態からしてひきこもりでもなく、自ら稼げるネオニート層。京大卒の経歴は伊達でない。

傑出したエリートニートが活躍する裏には、自分も家族もどうしようもない多数派ニート層が控えている。

40~50代の高齢化ニート&スネップの台頭というのが、これから社会が直面する現実。ニートの中にも格差は存在する。

スネップの歩き方

しかし家族も定職もない、よくわからない大人というのは昔から常に存在したともいえる。

少子化問題と同じで、ニートもスネップも絶対悪ではない。社会が成熟した結果、人口減少・生産性低下の方向に進むのは自然現象ともいえる。

呼び名はともかくニート現象は普遍的。今は家族がいて仕事があっても、老後はニートとして過ごす期間の方が長くなるかもしれない。

『ニートの歩き方』は『スネップの歩き方』でもあり、『下流老人の歩き方』にもつながる。セミリタイアした中年や、引退したシニアが読んでもおもしろい本なのではないかと思った。

本屋で立ち読みして、裏表紙に載っている「ニートチェックシート」だけでも見てみよう。今はニートでなくても自分にニート適性があるなら、読んでおくと未来に対して楽観的になれるかもしれない。