『ほしのこえ』は同世代クリエイターを震撼させた狂気の映像作品

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今さらながら新海誠監督、最初の劇場公開アニメ『ほしのこえ』を観てみた。

監督な20代の頃に「ほとんどひとりでつくった」自主制作というエピソードがすごい。これはアニメに限らず、すべての映像クリエイターに語り継がれる伝説だ。

自主制作という衝撃

『ほしのこえ』の持つインパクトとは、作品の内容うんぬんよりも「20代の青年がほぼひとりでつくった」という歴史的事実。

後年の作品に比べると、人物の描写やストーリー表現など雑に見える部分もある。同じソフトを使って映像をつくっている人なら、各種のエフェクトや作業工程がイメージできてしまう。

そうしたアマチュアっぽい側面が、逆に自主制作というリアリティーを高めている。「本当にひとりでやったんだ…」という凄みすら感じさせる。

仮にアニメ制作の分野ではなくても、同世代のクリエイターへの影響は計り知れない。

才能やスキルの有無は抜きにして、「自分も半年くらい家にこもって作業に打ち込めば、このくらいできたんじゃないか」という嫉妬や後悔を覚えることだろう。

なぜ自分にこれが作れなかったのか

そう考えるのと「実際に作品をつくる」のとでは、地球とシリウス星系くらいの距離があるのは百も承知。しかも新海監督はゲーム会社に勤めながら、わずかな空き時間でこの映画を完成させている。

「ヒマな学生ならいざ知らず、社会人には到底無理」なんて言い訳も通用しない。

『ほしのこえ』とはそんな感じで「忘れてしまった若い頃のハングリー精神」を思い出せさせる複雑な作品だ。

偉業を成し遂げた新海誠という映像作家をリスペクトする一方で、「なぜ自分にこれができなかったのか」という悔しい気持ちもつきまとう。

ありふれた制作環境

当時の『ほしのこえ』制作環境については情報が公開されている。

パソコンはPower Mac、ソフトはPhotoshopやAfter Effectなどごく普通の市販品だった。その中では3DCGソフトのLightWaveがやや高価なくらい。

いずれも2000年前後に映像制作に携わっていれば、誰でも手に入れることができた標準的ツールだ。

モニター上のワイヤフレーム表現や大型タルシアンのテクスチャーなど、今から見ると少し古くさいCG表現も出てくる。

もし新海監督が20年後に自主制作していたとしたら、無料のBlenderなど駆使して、さらにすごい作品ができていただろう。

天才ミュージシャンとの類似性

具体的な作業風景をイメージできる分、その果てしない苦労も容易に想像できる。

この密度で25分間ものアニメーションをつくる忍耐力は、異常としか思えない。シナリオの良さや背景画のうまさといった要素を除いても、「作品製作にかけられた、とてつもない労力」は肌で感じられる。

『ほしのこえ』製作の逸話は、デビュー作”Garden on the Palm”をコルグのM1シンセだけで完成させたケン・イシイを連想させる。マルチプレイヤーという意味ではレニー・クラヴィッツのようでもある。

新海誠もそうしたミュージシャンたちのように、「無名時代の作品からして伝説級」というクリエイターのひとり。

この作品を知ったきっかけは2002年の第6回メディア芸術祭の展覧会だった。『ほしのこえ』は同年アニメーション部門の特別賞を受賞している。

その前後の大賞・優秀賞には、『千と千尋の神隠し』や『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』がラインナップされる文化庁の有名イベント。

この受賞によって、新海監督の実力は全国的に知られることになった。

新海監督、全作品のルーツ

『ほしのこえ』のストーリーは次作の『雲のむこう、約束の場所』に受け継がれている。

SF要素が強いが、その中にも『秒速5センチメートル』で開花する「こじれた恋愛感情」が見え隠れする。この作品は短いながらも、新海監督全作品のルーツといえる要素が詰め込まれている。

『ほしのこえ』の並行世界ストーリーを強化したのが『雲のむこう、約束の地』。遠距離恋愛と初恋のトラウマを掘り下げたのが『秒速5センチメートル』。

有名になるにつれ製作協力者が増え、徐々にクオリティーが上がっていく過程を楽しめる。

風景が第三の主役

登場人物は2人だけで、時代設定や社会情勢がどうなっているのかよくわからない。そして2人の会話といっても、携帯メールによる時間差文通や独白ばかりだ。

SF基調とはいえ作品のテーマは人間ドラマ。しかも中高生の恋愛に特化したミニマムな短編といえる。

埼玉の日常風景と火星の景観を交互に見せるのは、シュールな状況がうまく伝わる演出だった。そして新海映画の定番といえる踏切と駅、積乱雲と夕日、雨や雪が降る空模様などのモチーフもふんだんに登場する。

異様に手の込んだ舞台背景が「第3の主役」といっても過言ではない。

新海誠はパロディー好き

『ほしのこえ』を見てあらためて感じたのは、「新海監督はもともとアニメのパロディーが好きなのではないか」ということだ。

たとえば『星を追う子ども』は「ジブリのパクリ」とさんざん言われているが、他の作品にもジブリ的な要素は多く見受けられる。

『ほしのこえ』でよく言われるのはエヴァンゲリオンからの引用。

トレーサーのコックピットやアラート表示など、別にここまでエヴァを真似する必要もない。あえてパロディーにしたのは若気の至り。同じオタク層にアピールしたかったかったからではなかろうか。

アニメだけでなくSFの古典も

本作品はそうしたアニメ・SF好きの内輪ウケを狙った要素が多くみられる。

古典からの引用でいえば、アガルタでタルシアンがミカコの心象風景を具体化して見せるのはスタニスワフ・レム『ソラリス』の再演といえる。

これらは「パクリ」という否定的な言い方ではなく、リミックスとでも呼んだ方が適切だろう。

作品を重ねるにつれて大衆化路線化しつつも、細部にSF的なモチーフが散りばめられているのは新海監督の魅力だ。

作品を分析する「引き出しが多い」という点も、ファンが多い理由でないかと思う。

「彼女の猫」は「2ちゃんねる」か

『ほしのこえ』以前、2000年発表の『彼女と彼女の猫』に出てくるラフタッチな猫は、当時流行っていた2ちゃんねるのアスキーアートそのもの。

さらに突っ込んで考えれば、「彼女の猫」という存在自体が電子掲示板のメタファーではないだろうか。

今では掲示板やBBS(Bulletin Board System)という言葉すら懐かしいが、当時はツイッターやユーチューブのような国民的メディアだった。

この短編作品で、電話の相手以外に人間の登場人物は出てこない。

ひとり暮らしの寂しさをまぎらわす手段として、2ちゃんねるを発見した=猫を拾ったという含みがあるように感じられる。