チャーチルの名演説で涙する異色の戦争映画『ダンケルク』レビュー

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今週金曜に上映終了とのことで、駆け込みで近くのイオンシネマに『ダンケルク』を見に行ってきた。2017年9月から、イオン株主はいつでも1,000円で映画を観られるようになっていたようだ。オーナーズカードを早朝・深夜の割引と組み合わせるより安くなったので、便利で助かる。

ベルセルクの実写版ではない

クリストファー・ノーラン監督の作品は、バットマンシリーズから欠かさず観ている。DVDで何度も巻き戻しながら観る方が理解は深まるが、イオンシネマが安くなったので、たまには映画館に行こうと思った。前作『インターステラー』がすごかったので、期待が高まる。

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タイトルを聞いて、最初は「ベルセルクの実写化?」くらいに思っていた。予告編の映像を見た限りでは、第二次大戦中、英仏軍のダンケルクからの撤退作戦を描いた作品であるらしい。正直ノルマンディー上陸ならまだしも、ダンケルクと聞いてもピンとこない。Call of Duty2のシナリオにもあったかどうか思い出せない。

映画の中でも状況の説明が少なく、退却の緊迫感を追体験できるといわれている。歴史的背景を知らない方が、結末がわからずハラハラするかもしれないと思って、下調べせずに見に行ってみた。

(以下ネタバレ)

3つの物語が交錯する複雑なシナリオ

陸海空に分かれた3つの物語が交互に語られて、終盤で登場人物たちが出会うというシナリオ。見ている側は先が予測できてしまい、型にはまりがちなきわどいストーリー展開ともいえる。冒頭で一人生き残った青年兵士が、別の時間軸で救出に向かう民間船に乗って助かるというストーリーは容易に想像がついた。

同じシーンが3者それぞれの視点から描かれるので、時間軸が前後して時々わけがわからなくなる。この仕掛けのせいで、普通の戦争映画とはまったく異なる群像劇に発展しているのは、さすがノーラン監督だ。

残酷シーンが出てこない戦争映画

題材的になんとなく『プライベート・ライアン』のような内容をイメージしていた。最初のオマハビーチから問答無用で死にまくり、腕はちぎれ脚も吹っ飛ぶ。挙句は生きながらじわじわナイフで心臓を刺される、トラウマシーンも出てくる。

『プライベート・ライアン』は「これが戦争の現実」という見本のような作品。以後の映画やゲームにも大きく影響を与えている。ところが『ダンケルク』には、戦争映画につきもののほとんど残虐なシーンがほとんど出てこない。砂浜で爆撃されたり、魚雷で沈没したり、横たわる死体は出てくるが、いかにも痛そうな死に際の描写がない。

際立つ英雄も敵役も出てこない

強いて思い出せるのは、民間舟に乗り込んだジョージという少年が、助けた兵士に突き飛ばされ、打ち所が悪くてあっさり死ぬシーンだ。愛国心に目覚めてダンケルクに向かったのに、狂った味方に恩を仇で返され、アクシデントで死ぬという非業の民間人。なんともやるせない。

無敵の部隊長ヒーローも出てこないし、ベインやジョーカーのような深みのある悪役も登場しない。ドイツ兵は戦闘機や魚雷という兵器の形でしか現れず、意図的に人間性を排除されているように見える。戦争の是非というテーマも、老人船長のセリフくらいでしか問われていない。

戦争の悲惨さを残酷描写でストレートに表現しない新世代の映画。『この世界の片隅に』を連想するような作風だった。

すべてはチャーチルの演説につなげる演出

辛くも乗り込んだ船が魚雷で撃沈され、退避したオランダ商舟の中で銃撃される。やれやれ助かったと船内で食事や紅茶を楽しんでいるシーンに、一瞬で海水が流れ込み阿鼻叫喚に陥る場面。船の中で、見えない敵から狙撃され次々倒れていく雪隠詰めの恐怖。

ときどき印象的なシーンが織り込まれるが、全体としてはサプライズもなく淡々と救出活動が続いて終わった感じだった。ドイツ軍の攻撃も散発的で、情け容赦なく絶体絶命、というスリルもなかった。

最後にチャーチルの演説が読まれるシーンでピンと来た。ダンケルクの歴史は知らなかったが、「我々は最後まで戦い続ける…海でも陸でも戦い続ける…」の名言はどこかで聞いた記憶がある。おそらく英米の人々にとっては、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」という玉音放送のように心に響く文章なのだろう。

序盤からずっと重苦しい感じで続く、救いようのない退却劇は、最後にチャーチルの”We shall never surrender”で泣かせるための演出だったと理解できる。

もしこれが日本の映画なら…

見方を変えれば、ダンケルクから33万人の兵士を救出するため、現地にとどまって犠牲になった数万の英仏兵士がいたはずだ。海岸から遠くに見える煙や炎で、防衛ラインの激戦が連想される。

日本の戦争映画なら、撤退より玉砕を選んだ兵士にスポットが当てられるだろう。チャーチルの演説ではなく、司令官の訣別の電文で終わっていたかもしれない。民間船も爆装して震洋のように突撃したことだろう。駆逐艦は救助に向かうのではなく、戦艦大和のように片道分の燃料だけ積んだ、悲壮の特攻作戦になった可能性もある。

潔く散るより、恥を忍んで臥薪嘗胆という美学に、国民性の違いを感じた。イギリスではDunkirk Spiritという熟語もあるようだ。

スピットファイアが強すぎる

細かいところでは、英国側の戦闘機スピットファイアが優秀すぎるように見えた。『永遠の0』のような天才パイロットが出てきて、次々とメッサーシュミットを海に沈める。桟橋のボルトン海軍中佐が敵機に狙われ、観念して目を閉じるところで奇跡の撃墜。一見、燃料切れでプロペラが止まった後でも活躍したように思われ、不自然だった。

それほどの技量があれば、ドイツ軍の陣地に不時着して捕虜になるより、旋回して味方のいる海に不時着すれば助かったように思う。海軍中佐同様、敵地に残って任務をまっとうするキャラクターも演出上、必要だったのだろう。

ちなみに戦後も、スピットファイアの名を冠した車や時計が生産されている。敵側からすれば、グラマンやB29のような禍々しい響きに聞こえることだろう。スイスのドイツ語圏、シャフハウゼンのIWC工場でスピットファイアをつくっている人たちは、どんな気持ちなのだろう。

あえて歴史的背景を知らずに観る、他国の戦争映画というのもおもしろかった。この記事を読んでしまってはもう遅いかもしれないが、ぜひ映画館に行って、何も知らずにダンケルクに取り残されるスリルを味わってみてほしい。