期待以上にすごかった近現代建築資料館「日本の建築ドローイング」展

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国立近現代建築資料館で行われている「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展覧会のレビュー。

知り合いにパンフレットをもらったが、聞いたことのない施設だ。場所も湯島駅から坂を上ったよくわからないエリアにある。

あまり期待せずに見に行ったら、無料のわりにすごいクオリティーの企画展示だった。ドローイングという建築業界の中でもニッチなテーマだが、難解なコンセプトはさておき、絵や映像を見るだけでも楽しめる。

むしろ建築以外の人にも見てもらいたい。予備知識なく普通の人が見たら、建築家は頭がおかしいと思われそうだ。こんな人たちに家の設計を任せていいのだろうか…そんな世俗のたてものという概念を超越した建築の世界がここにある。

合同庁舎の裏にある建築資料館

本郷三丁目から湯島にかけて、昔よく歩いた場所だがこんな資料館があるのは知らなかった。国立近現代…と何やら古めかしい名前だが、実は2013年にオープンした新しい施設だとわかった。

文化庁の管轄で、湯島の地方合同庁舎別館を改修してつくられている。元は司法研修所という裁判所の研修機関だったので、外向きの開けたつくりではない。

湯島天神の向かいにある入口で「本当にここなのか?」と不安になりながら正門をくぐる。守衛室で入館時刻と名前だけ書いて、番号の振られたバッジを受け取る。「建築の展示を見に来た」と言えば、慣れた感じで案内してもらえる。

正面にあるのは合同庁舎だが、関東財務局や経済産業省の事務所が入っているだけで都民向けのサービスを行っているわけではなさそうだ。案内表示に従い庁舎を迂回して奥に回ると、資料館の入り口が見えてきた。

展示棟の方は1971年竣工でレトロな外観だが、内部は1階電気室を収蔵庫、2階の講堂を展示室に変えて大幅にリニューアルしてある。新館の外観は隣接する岩崎邸からの景観を配慮して、目立たないように植栽や木製ルーバーが配されている。展示室2階のロビーからは、岩崎邸を間近に見られる。

別館の方は外観がほぼ昔のままなので、外から見た印象と内部の現代的なインテリアのギャップに驚かされる。 さすが建築の資料館だけあって、半円形のパターンが連続する天井や床の嵌め木など要所要所にこだわりが見られる。

外観に比べて展示は豪華

中に入って展覧会のサインやパネルが妙に洗練されていると思ったら、展示の方も想像以上に凝っていた。戦後~バブル期のドローイング作品原画だけでなく、見たことのない図面や模型も複数あった。

さらに中央の4面スクリーンには、磯崎新をはじめとする大御所のインタビュー映像が上映されている。ムービーには丁寧に字幕が付き、さらに文字起こしした原稿がA3サイズで配布されるという親切ぶり。鑑賞用の椅子はミースのバルセロナチェア、革張りのオットマンという贅沢なしつらえだ。

展示ケースに収まらない図面は、付属のタッチパネルで閲覧することができる。アプリは展覧会用にちゃんと作られていて、ピンチインして拡大表示できる。さらにリストから画像を選ぶとズームしながらポップアップしたり、細かいエフェクトまで何気にこだわられている。

階段で中2階に上ると、毛綱毅曠(もづなきこう)の「建築古事記」専用コーナーがある。会期中に展示替えするようなので、リピーターも多そうだ。インタビューやタッチパネルをくまなく見ていたら、思わず1時間以上過ごしてしまった。

展示のカタログは販売されていないが、出口にサンプルが置いてあり希望者は事務室に行けばもらえるらしい。お金のかかってそうなしっかりした冊子なので、無料というのも変な気がする。私設のミュージアムなら500円か1,000円くらい取ってもおかしくない展示の充実ぶりだ。

平日午後でも夕方近くの時間帯になると、徐々に来館者が増えてきて30人くらいになった。内容的に建築の学生さんと業界関係者ばかりと思うが、こんな立地でよく集まるなと思った。

2013年の開館以来、すでに9回も企画展示が行われている。無料の建築展示として、TOTOのギャラリー間に並んで近現代建築資料館も定着しつつあるのかもしれない。

展示の見どころ

安藤忠雄や高松伸のドローイングはよく見るが、渡邊洋治や相田武文という、よく知らない建築家の見たことない作品まで展示されている。鉛筆画だけでなく、シルクスクリーンや貼り絵にエアブラシと、表現技法も幅広い。

象設計集団は設計図書の表紙に樹木のイメージが描かれ、毛筆の絵本風になっている。図面の中で瓦のパーツがイラストで描かれていたり、独特のセンスがある。曼荼羅とか古事記とか、今では流行らなそうな和風のモチーフも当時はカッコよかったのかもしれない。

藤井博已のアクソメ図や立方体フレームをずらした構成は、ピーター・アイゼンマンのHOUSEシリーズを彷彿させる。どちらも70~80年代の作品だが、松任フォリーの複雑なパースはどうやって作図したのか不思議に感じる。

今ならCADでレンダリングしてから正確にトレースできるが、図学の知識を駆使すれば手描きで表現できるのだろうか。ドローイング以前に、アイソメトリックやパースを正確に書き起こせる技術に驚嘆する。

原広司の空中庭園

原広司は京都駅や梅田スカイビルなど大規模な公共建築で成功しているように思うが、独特なドローイングがいくつか出展されている。スカイビルの絵は1,823×1,380と、畳くらい巨大なサイズにクレヨンでヘタウマに描かれている。他にも鉛筆の細密画や、綿にインクを付けた打包(たんぽ)という技法が使われていたり、表現方法を試行錯誤しているように見える。

スカイビルより前に、東京駅の上空を想定して描かれたMid-air Cityという1989年の作品が興味深い。円形の穴が開いた空中庭園がいくつも連続して、相互に斜めの通路や階段で結ばれている。実現は難しそうだが、「肩の力が抜けたメタボリズム」という感じで爽やかだ。青空に白い、ふわっとした構造体が連なる幻想的なイラストが妙に心に残る。

山本理顕も実作が有名だが、1988年のHAMLETなど緻密なドローイングもある。岡山の住宅では、展示作品の中ではめずらしく墨で書かれた柔らかい輪郭のパース図が2点ある。説明がなくコンセプトは不明だが、東洋・西洋の古典風に柱や基壇が置き替えられた間違い探しのような連作になっている。

鈴木了二は逆に実作より「物質試行」という模型やドローイングのシリーズを連想させる。意味はわからないが、「玉川学園の住宅03」で白黒の線だけで表現されたコンポジションはデ・ステイルのような抽象画としても見られる。

貴重なインタビュー映像

高松伸はパンフレットにも使われている「先斗町のお茶屋」に「Eathtecture Sub-1」など、通好みの作品ばかり選ばれている。京都の狭い街路に面した極小建築と、なぜか地上はオブジェ的な明かり窓だけで地中4階に掘り込まれた秘密基地。大判のドローイングも職人芸だが、建築の構成自体が謎である。

インタビュー映像の中で、「ヒューマン的なものをどれだけ弱めていくか、壊していくか…」と説明しているのが腑に落ちた。普通に聞くと意味不明だが、普通でない建築を作ろうとしているのだから合理的なコンセプトだ。

展示室の中央で上映されている建築家のインタビュー映像はいずれも興味深い。原稿だけ読むと理解しにくいが、身振り手振りで製作過程を語る姿がまさにドローイングの制作過程を想像させる。

メインは毛綱毅曠の建築古事記

安藤忠雄は昨年、新美の回顧展で満喫できたのでよいとして、展示の白眉は毛綱毅曠だ。なんだかおどろおどろしいというイメージしかなかったが、ドローイングの実物は初めて見た。12月中旬に展示替えがあったらしいので、残念ながら半分は見逃してしまった。

タイトルからして古事記がモチーフなようだが、『神曲』の挿絵を和風にしたような趣がある。シルクスクリーンと手描きのハイブリッドな作品で、おおまかに着彩された風景の中に、狂った建築的オブジェが埋め込まれている。「黄泉の比良坂」の地中世界は悪夢のようだ。もし草間彌生が建築をつくったら、こんな世界になりそうな気がする。

建築士の製図試験をやり過ぎると夢にエスキースが出てくるが、ドローイングも描きすぎると強迫性障害になりそうだ。達人の域に達すると、実務とはかけ離れたドローイング製作も息抜きになるのだろう。

図面とドローイングの違い

高松伸がインタビューで製作方法について聞かれ、「ドローイングそのものが時間を抱え込む」とか「身体と時間と思考が常に連動している」と答えていた。それで思い出したのが、ティム・インゴルドの『ラインズ』という本。

建築の設計図を描くというのは、完成すべき建築を指示する楽譜や地図をつくるのに近い。一方、ドローイングというのはエスキース・プレゼンの手段ともいえるが、それ自体が楽しみである散歩や徒歩旅行のような行為に思われる。

インゴルド風に言えば「視点も終点もない住まわれた世界」。毛綱毅曠がドローイングの中に刻む階段やトラスのような建築的モチーフは、手続き的なルールで自動生成されているように見える。まるでパプアニューギニアのアベラム族が透かし模様の装飾画を描くように、図学的な透視投影は無視して気のおもむくままに絵を描いているようだ。

歴史に残る建築ドローイング

展覧会を見終わって、70~90年代の日本の建築ドローイングを取り上げたのは意義があると思った。それ以前の建築家も手描きで緻密なスケッチを残しているが、画材や表現方法をここまで追求したのは、日本の戦後建築家くらいではなかろうか。

海外にもシド・ミードのような優れたイラストレーターはいるが、どちらかという映画のための作品が多い。a+uでも特集されたレベウス・ウッズは建築家なのか何なのかよくわからないが、テリー・ギリアムの『12モンキーズ』で引用されていたりする。

実作も作りつつ、濃密なドローイングや論文まで書く建築家のバイタリティーには恐れ入る。マンガでもアート作品でもなく、純粋に建築のコンセプトを表現する手段としてドローイング製作に多大な時間が費やされ、それが評価された特異な時代があったのだろう。21世紀になって設計作業がデジタル化する直前、手描き派の最後の宴とも、バブルに咲いた徒花ともいえる。

フランス革命期のルドゥー、ブーレー、ルクーのように、日本のバブル期ドローイングが建築史に残って数百年後に参照されるとおもしろい。国内の実作は学会賞を取ってもスクラップにされてしまうくらいだから、むしろドローイングの方が息長く歴史に残るかもしれない。