依存症は病気でない~環境要因をとなえる『依存症ビジネス』レビュー

2014年出版、デイミアン・トンプソン著。依存症関連の本だが、医師が書いたものではない。イギリスのジャーナリストが自身のアルコール・薬物中毒の体験をもとに、社会問題となっている各種の依存症を取り上げたエッセイだ。

依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

デイミアン・トンプソン
1,836円(07/21 11:24時点)
発売日: 2014/10/10
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とはいえ「科学的根拠に乏しい」ということはなく、脳内の報酬回路についてはしっかり押さえてある。そして元患者の手記としては、ちまたにあふれる医学的な入門書より奥が深いと感じた。特に「依存症は病気でない」と断言している主張が斬新に思われる。

依存症=習慣

個人的に興味のあるインターネットやゲームの依存症についても、一章割いて説明されており参考になった。特に依存症を「治療する」サービスさえも、ビジネスとして依存症のメカニズムを利用しているというくだりは刺激的だった。

ある意味、この本も巨大なリハビリ産業の一部といえる。そしていまや、サービス提供者としても消費者としても、脳内報酬系の話題は避けて通れない時代になった。これまで無意識的に行われてきた企業のプロモーション活動が、行動経済学や脳科学を援用して飛躍的に精度を増している。

もはや依存症は特異な現象でなく、ありふれた疾患。必要悪として自覚的に制御できるかどうか、自分の依存傾向とうまく付き合っていけるかが問題だ。ソシャゲにハマる状態も、廃人からライトユーザーまで無数の段階がスペクトル状に分布しているので、話は単純でない。

依存症は”病気”というより”習慣”と呼んだ方がいいのではないか…そういう視野を広げてくれるような一冊だった。

依存症を利用したビジネスの本ではない

「ビジネス」というタイトルがまぎらわしいが、「顧客を依存症にする方法」について書かれた本ではない。原題は”The Fix(すぐに気分をよくしてくれるもの)”なので、だいぶ意訳されている。

ただし、Appleやスターバックスといった有名企業が、どういう手口でユーザーを夢中にさせているか(悪く言えば中毒状態にしているか)を知るヒントになる。

商品やサービスの設計に脳科学の知見を用いるのは、今ではありふれた方法なのだ。そして知らない間に消費者が依存状態にさせられているというのは、何も甘いお菓子や買物だけの話ではない。

「依存症は病気でない」という立場

著者は「依存症=病気」という仮説に異議をとなえていて、「そういう考え方もあるのか」と参考になる。特にAA(アルコホーリクス・アノニマス)由来の宗教がかった治療法には真っ向から反対している。

序盤で依存症の定義や、現在わかっている脳の仕組み(主にドーパミン関連)について触れている。その後は買物、薬物、アルコールといったメジャーな依存対象の最新状況を、医師や関係者への取材をもとにレポートしている。

全体的に読者の不安をあおる感じだが、誰しも思い当たるふしがいくつか出てくるだろう。極端な事例を紹介しつつも、現代の製品やサービスがあまりにうまく依存症のメカニズムを利用して、生活に溶け込んでいる状況を指摘している。

欧米の社会は、依存的流行と日常的行動が明白に区別できる一線を越えてしまった。依存症の力学と自由市場の力学には、あまりにも共通点がありすぎるのだ。

『依存症ビジネス』 デイミアン・トンプソン

街中でiPhoneを持っている人や、電車でスマホゲームに興じている人が多くて不気味に感じる人は、楽しんで読めるはず。自分が興味のある依存対象について読むだけでも参考になる。一方、スイーツや砂糖の弊害については「食べてはいけない…○○添加物」のような感じで、いまさら目新しさはない。

依存症は自由意思で克服できる

本書がユニークなのは、依存症に関する”病気モデル”に批判的である点だ。アメリカ依存医学界(ASAM)が依存症を「原発性の慢性疾患」と定義しているのは、仮説にすぎないと述べている。

特に著者自身も参加したAAの治療法(12のステップ)や、それに関連する”依存症治療ビジネス”には批判的である。依存を病気とみなすことで、「自分の責任でなく病気のせい」と責任転嫁することを危惧している。

そして依存症が不可逆的かつ不治の病でない以上、「依存的行動は本質的に自発的行為」、すなわち自力・自由意思で克服可能というスタンスをとっている。これも仮説にすぎないとはいえるが、「医療機関の受診をおすすめします」としか言わない本より具体的で参考になる。

まるでアレン・カーの『禁煙セラピー』を読んだときのような(喫煙者でないけれども)、スカッとした読後感を味わうことができた。AAの「神の配慮にゆだねる」という治療方針よりは、自助努力で何とかできると考えた方が健全に思われる。

供給主導型の現象

依存症の”病気モデル”を否定する根拠として、著者は遺伝的素因より環境要因に注目している。たとえば18世紀のイギリスで粗悪なジンが流行ったのと、ベトナム戦争で米兵の間にヘロインが広まった現象の背景には、単にそれらが経済的・心理的に「手に入りやすかったから」という共通点がある。

すると「いつでもどこでも無料でプレイできる(そして皆やっているので後ろめたくない)」現代のスマホゲームとは、依存対象となる環境条件を完ぺきに満たしている。これは『スマホゲーム依存症』の本でも指摘されていた点だ。

ここではインターネットやゲームに限らず、薬物、アルコールなど、依存の対象物(フィックス)が以前よりはるかに容易に手に入るようになった状況が危惧されている。人口構成のうち、昔であれば依存症にならなかったタイプの人も、環境側の圧力により予備軍となる可能性がある。

カップケーキやAppleの新製品ですら、依存の対象になりえる。そして企業側も顧客ロイヤリティーを向上する(依存状態にする)方法について熱心に研究している。”ゲーミフィケーション”とはある意味、サプライヤー側からポジティブに見た依存症生成メソッドでないかと思われてくる。

ゲーム依存症

個人的に興味を持ったのは、ゲーム依存に関わる部分。少し古いが、アングリ―バードやファームヴィル、セカンドライフにまつわる依存症が紹介されている。

世界的にヒットしたWorld of Warcraftも出てくるが、日本で流行っているソシャゲのたぐいには触れていない。せいぜいFacebookやTwitterのSNSに言及される程度だ。

本書では、ゲームにはまりすぎて家庭や仕事が崩壊したという、暗い事例ばかりいくつも紹介されている。ひとつだけ言えるのは、MMOであっても農場シミュレーションであっても、ユーザーを熱中させ課金させる手口が、高度に洗練されてきているという点だ。

それでも執筆時点のアングリ―バードの中毒性は、せいぜいゲームボーイのテトリスと同程度でないかと思う。しかし、そこから10年経った現在のソーシャルゲームにおける有償ガチャやスタミナ制というシステムは、過去の知見を集大成してつくられた悪魔的発明といえる。

たとえ無課金のプレイヤーであっても、無意味なバトルを反復させ報酬を与えることで、強迫性障害を促進する仕掛けになっている。実際にロマサガRSを1か月プレイしてみて、ゲームを習慣化させる仕組みや、課金にいざなうトリックに驚かされるばかりだ。

そういえば、Fitbitというスマートウォッチのアプリも、こまめな報酬やレベルアップの仕組みがオンラインゲームとそっくりだった。今ではあらゆるIT系のサービスが、ゲーミフィケーションされ過ぎて気持ち悪い感じもする。

スマホゲームは合法ドラッグか

インターネットやゲームという”プロセス依存”は、アルコールやタバコの「物質依存」に比べて、脳への影響はまだマイルドに思われる。また、あまりに一般化しすぎて「未成年が親のクレジットカードで課金した」とか「ガチャ課金が原因で殺人」くらいでないと、話題にも上がらない。

今のところ国民全体がソシャゲで痴呆化するとか、そこまで顕著な社会問題にもなっていない。規制といえば、一部のガチャ方式が自粛され、排出率が明記されたりするようになった程度だ。

いつの間にか潜在的なゲーム依存症患者が急増して、21世紀初頭は何十年後かに”暗黒時代”と呼ばれるようになるかもしれない。これは「使い方次第で、テクノロジーは毒にも薬にもなる」という、よくある話だ。

少なくともウォークマンやポータブルゲーム機が規制されない以上、スマホがおおやけに禁止されるとは考えにくい。同様にインターネットも依存症の問題を指摘されながら野放しされているので、スマホゲームが規制されることもないだろう。

消費者としては、搾取される側に回らないよう気をつけることしかできない。その意味では、スマホゲームというカジュアルな依存対象の暗黒面を知っておくことも大事だ。歴史上、コカインやヘロインが合法的に売られていた時代もある。そして野放図に広まっているソシャゲのたぐいも、似たようなものかもしれない。