大学院というヤクザな動物園で生き延びる知恵~学生と教員の生存戦略

平均寿命が延びて、従来の「学生→社会人→老後」という3ステージ型の人生モデルが崩れてきている。複数回の転職も一般化して、社会に出てからも勉強して新しいスキルを身につけて行かないと時代の流れについていけない。

30~40代でも転職を機に、語学留学したりMBAを取ったりする人が増えてきた。英会話に関しては、レアジョブの通信教育やフィリピン留学が流行っている。今後のグローバル展開を見据えて、英語を標準語にする会社はユニクロ・楽天以外にも増えていくだろう。

英会話やプログラミングより専門性の高いスキルを磨こうと思った場合、「大学院に入り直す」という選択肢もある。在職中は忙しくて追求できなかった趣味について、リタイア後に大学で研究してみるのも一興だ。

大学の理系研究室について、学生・教員の立場から垣間見た内部事情について振り返ってみようと思う。

社会人ドクターの生産性は高い

大学院を卒業すれば一応、修士・博士という学位をもらえて履歴書に書ける。国公立ならそこまで学費も高くない。スタンフォードやハーバードで学ぶのは高根の花だが、分野によっては国内の大学でも一流の研究環境を得られるだろう。

研究室に関わる人たちを観察していて、社会人学生のパフォーマンスは平均的に高いと思った。企業から共同研究で派遣されてきている人はやる気もまちまちだが、自ら学費を払って学びに来ている人は目的意識がしっかりしている。

市場のニーズを把握している人は研究のセンスも鋭い。研究室の運営側としては、学生にはそのまま大学院に進学してもらった方がうれしい。しかし貴重な20代をほとんど大学で過ごすより、一度社会に出て世の中を見聞してくるのも、バランスが取れてよいと思う。

それを知ってか、近年は優秀な学生ほど学部・修士で卒業して就職する傾向がある。博士課程に進学するのは、モラトリアムをこじらせた問題児が大半で、生来の天才肌はほんの一握りという印象だ。

シン・ゴジラの巨災対

狙いをきちんと定めれば、いったん社会に出てから、もう一度大学院に入り直すのも悪くないと思う。老後にお金があれば、町内会やサークル活動に精を出すより、趣味の合う人が見つかる可能性もある。

平均寿命が100年を超える時代、取得学位を増やしてキャリアの幅を広げるのもいい。博士号を持っていれば、いつか大学の教職に付ける可能性もある。国内で博士持ちはどちらかというと変人扱いされるが、海外では名刺にPh.D.と書けばハッタリが効く。

大学に長くいる人はそもそも変人・奇人の類が多いので、大学院とはさながら珍獣を集めた動物園のようにも見える。『シン・ゴジラ』の巨大不明生物特設災害対策本部みたいなノリについていけるなら、案外楽しめるかもしれない。経験上10人に1人くらいの割合で、映画に出てくるようなユニークなキャラに出会える。

理系研究室は中小企業である

分野によって多少の違いはあるが、理系の研究室はちょっとした中小企業のようなものである。数人の学生しか取らない零細研究室もあれば、秘書が数名、学生も2桁いるような大所帯もある。

研究室の学生は、先輩や指導教官の指示に従って働く平社員のようなものだ。実績を積んで博士課程に進むと、今度は自分が学部生や修士学生の面倒を見る側になる。自分の研究を進めるかたわらチームをまとめて指導する必要もあるので、さながら中間管理職といった趣だ。そうして博士→助教→准教授と、アカデミックな出世の階段を上っていく。

一方で、教授は研究室を運営するための予算取りや資金繰りに忙しい。ここまで来ると、個人の研究者というより組織として成果を出す手腕が問われるので、まるで会社経営者のようだ。学生には研究上のアドバイスはもとより、あの手この手でモチベーションを上げて、しっかり働いてもらう必要がある。

ヤクザにたとえられる組織構造

研究室の組織構造は見事なピラミッド型なため、ヤクザの組織にたとえられることもある。

教授(組長)というポストは1つしかなく、博士課程で頭角をあらわした幹部たちが准教授(若頭)の地位をめぐって争う。教授の退職や栄転でポストが空けば、まるでヤクザの跡目争いのような血なまぐさい抗争が繰り広げられることもある。

敗れた幹部は、他の大学に移って別の組織を構えるか、アカデミズム(任侠界)は諦めて民間企業(カタギ)に転職することになる。学生は親父や兄貴の指図で実質的な研究活動を担う、舎弟のようなものである。

学生側の生存戦略

研究室の学生は本来、学費を払って学ばせていただく立場である。しかしときには後輩の指導や学会の運営など、雑用もこなす必要が出てくる。平社員としてもそれなりに会社の業績に貢献しなければ予算を取れず、ろくな実験機材も買えずに共倒れ。研究室とは運命共同体なのだ。

「かたくなに自分の研究しかやらず、雑用は一切手伝わない」という学生もたまにいる。一時的に作業ははかどるかもしれないが、いずれ先輩・同僚から疎まれ研究がやりにくくなるだろう。精神的に、集団から完全にハミられてもやっていけるほど人間は強くない。

日常的に機材を借りたり、実験を手伝ってもらったり、理系の研究はチームプレーだ。教授が決めた大まかな研究テーマに沿って、各自がパートを分担するかたちに近い。「あいつは言うことを聞かない」という噂が立てば、たちまち干されて学会発表もままならなくなってしまう。

サラリーマン的な処世術

大学院はGive & Takeという社会の互助的ルールを学ぶ場でもある。学生でありながら、「人間は一匹狼では生きていけない社会的動物である」と思い知らされることになる。

精神論ではなく、現実的にたった一人で研究を続けるというのは不可能だ。なぜならその成果を評価するアカデミズムというものが、そもそも人間の集団だからである。むしろ学会というコミュニティーが慣れ合いの組織であり、査読のプロセスも多かれ少なかれ談合に近い面がある。

そんなグレーな世界で研究者として成り上がっていくためには、サラリーマン的な処世術も必要になってくる。その筋で成功した政治家や経営者と話していて感じるのは、おしなべて人たらしの商売人だということだ。デザイナー、クリエイター、芸術家のたぐいも同じある。それなりに身を立てて大学で教えているような人たちは、みな世渡りがうまい。

教員側の事情

修士~博士課程の学生は、上から見れば兵隊と同じである。適当におだてて盛り上げて、研究室のプロジェクトを手伝ってもらわなければならない。もちろん学費を払って来ているお客様という側面もあり、近年はセクハラだけでなくアカハラ・パワハラと風当たりが厳しい。アメとムチを使い分けるにも、さじ加減が難しい。

会社であれば、最終的に「雇用契約」という原理でロジカルに処理できる。しかし大学院にそのような契約関係はなく、上も下も不文律のルールに従って創発的な合意形成を図る必要がある。「結局は上の言うことを聞いて手を動かす方が得だ」と学生に理解させて、Win-Winな関係を築いていくのが有能な管理職だ。

中間管理職としての助教・講師

チームで協力した方が研究成果を出せるという実利以外に、就職先を紹介するとか推薦状を書くとか、あの手この手で学生を篭絡することになる。たまには海外の学会に経費で出張させて、遊ばせてあげるのも効果が高い。

ゲームが趣味ならスペックの高いPCを買ってあげるとか、お金で解決できる部分も少なからずある。博士の学生でも高学年になると、こういうベタな世間知が身についてくるものだ。

運よく大学で職を得ても、助教~講師のレベルでは企業の中間管理職と何ら変わるところはない。むしろ大学院という動物園の中では、老いも若きも常識外れのキワモノたちばかり。アカデミズムという象牙の塔でサバイバルしていくには、平均的なサラリーマン以上の手腕を問われるだろう。

ヒトという種の多様性

大学院は珍奇な動物園のようなものだが、ポジティブに見ればアマゾンの熱帯雨林のような天然資源ともみなせる。密林には未知の生命体がいて、将来そこから新薬や新素材を製造できるかもしれない。研究活動は短期的な利益を生まないが、1000に3つ、人類の役に立つ画期的な発明が生まれてくる可能性がある。

研究者たちは絶滅危惧種のようなもので、大学院という温室で育てておけば種の多様性を保存できる。大半は単なる奇行種だが、中には有益な希少種もまぎれているかもしれない。そのため、国家予算を投じてGoogleの20%ルール(仕事時間の2割は好きなプロジェクトをできる)のような、国立大学の運営という遊びが行われているのだ。

国が用意してくれた特区ともいえる大学院。癖のある構成員たちとうまくやってリソースを使いこなせば、人生の糧を得られるかもしれない。転職中のスキルアップや退職後の趣味を究めるのに、大学院を活用してみるのも一考の価値がある。