寿命格差の実態~低所得者は読んでも無意味な『LIFE SHIFT』レビュー

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リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットの共著”The 100-Years Life”。原題通り、これから「寿命100年」の時代、いかに有利に生き延びるかというのがテーマになっている。

空港のラウンジで読んだ、週間東洋経済の特集で興味を持った。「人生100年時代」というのはユーキャンの2017年流行語候補にもなったらしい。サラリーマンが興味を持ちそうな、労働観や財テクの話が中心なので、一般受けもよかったのだろう。

100歳どころかもっと延びる

世界のベストプラクティス平均寿命は19世紀半ばから単調増加している。1850年に50歳くらいだった寿命が2000年には85歳に到達し、数値的にはこのまま100歳を超えて伸び続ける可能性が高い。

その理由としては、乳幼児死亡率の改善、中高年の慢性疾患(心臓血管系・癌)の大作、公衆衛生の改善や健康啓蒙キャンペーンが果たした役割が大きい。今後もバイオテクノロジーやナノテクノロジーによる医療革命で、寿命の上限はもっと延びる可能性がある。人工知能やAIが分子レベルで細胞の老化を防いだり、自動修復してくれるというのだ。

SFのような話だが、100年前の人々は寿命が30年も延びるなんて予想できなかっただろう。21世紀中に「100歳どころか150歳まで生きるのが普通」という世の中になっても不思議ではない。本書の控えめな主張では、「現在40歳の人は50%以上の確率で95歳まで生きる」とされている。

所得が低いと寿命は短い

寿命が延びれば素直にうれしいと感じるが、老後の資産がなければ逆に脅威に感じられる。年金は十分にもらえず老人ホームにも入れず、賃貸にも入居を断られ公園で孤独死…そんな悲惨な末路が思い浮かぶ。

とはいいつつ、実は長寿化の陰で健康格差・寿命格差の問題も進展していて、低所得者は富裕層ほど寿命が延びていないらしい。むしろ、低所得の女性はここ20年で逆に平均寿命が縮まっているというから驚きだ。

要するに所得が低い人は長寿化とは無縁なので、心配せずに従来型の3ステージ人生を歩めばよい。老後の蓄えが尽きる前に寿命を迎えるだろうから…という解釈もできる。

LIFE SHIFTはどちらかというと高所得者向けに、「寿命が延びても暇だから、マルチステージで活躍して人生エンジョイしましょう」と新しい余暇の過ごし方を提案している本だ。「35年は、ゴルフコースで過ごすにはあまりに長い」というスノッブな表現が垣間見られる。

そもそも自分は趣味でゴルフをやるようなお金も時間もないし、老後も同じだろう。年収100万以下の低所得者で独身だから、統計的には早死にして長寿化の恩恵にあずかれないと予想される。読んでも意味ない本だったといえる。

本書の対象はエリート富裕層

世代ごとのモデルケースとして紹介されるジャック、ジミー、ジェーンの3人は、いずれも勝ち組、成功者のパターンである。大企業に定年まで勤めて老後も安泰、IT業界でマネージャーとして出世、起業家から大手にヘッドハンティングされ取締役就任など、一般的には文句のつけようのない恵まれた人生を歩んでいる。

著者は長寿化にともなう「悲観論を打ち消したかった」と説明している。そもそも仕事や家庭生活で失敗して不健康になる人は寿命も縮むだろうから、やさぐれてアル中になるとかネガティブなシナリオは想定しても意味がない。

離婚も想定されていないが、あえて言うなら「結婚しない」というオプションを取り入れてもよかったと思う。長寿化と同じく、晩婚化・非婚化・少子化も先進国では顕著な傾向であるからだ。

寿命が延びても女性の出産年齢が変わらないというのは事実。30代までエクスプローラーとして職を転々としたり、勉強や仕事で自分に投資する方が生涯所得が多くなるとすれば、女性にとって若い時期に出産・子育てするインセンティブはますます下がっていくだろう。

生産性の維持と自己投資のジレンマ

ここにLIFE SHIFTで提案される未来像と現実との落差がある。ケインズの「所得効果」と「代替効果」が取り上げられているが、仕事の効率化が進んでも高所得者は長時間働く傾向がある。賃金が高いので、休暇を取ることの機会損失が低所得者より高くつくということだ。

IT系に関わらず、高いスキルを要求される職業は知識の補充が欠かせない。新しい技術を勉強したいと思っても、有給休暇やサバティカルはなかなか取れない。学習しなければ次第に取り残される。そういうジレンマの中で燃え尽きてしまうというシナリオには説得力がある。

勤務中に自分のプロジェクトを進めたり勉強時間を取れるとか、在宅でも不定期でも柔軟な働き方を容認してくれる企業というのは依然として少数派だ。フレキシブルな制度設計が好業績に結びつくかというと、明らかなエビデンスはない。むしろ業績評価や従業員管理のコストが増えるのは確実だろう。

本書を真に受けると所得が減る

著者も認めているが、現時点で出世や高収入を望むなら、仕事を休んだり柔軟に働くことはマイナスでしかない。統計的にもキャリアの中断は生涯所得の減少につながる。「柔軟性の烙印(Flexibility Stigma)」と呼ばれる現象だ。

本書を真に受けて、仕事を辞めて大学やパートタイムで勉強してマルチステージの活躍にそなえるというのは、どう考えても得策ではない。一流大学の学生に、大手企業や官僚でなくベンチャー企業への就職を勧めるようなものだ。

長すぎる老後に対して、生涯所得というお金の面だけでなく、無形資産(スキル、健康、不確実性への対処能力)という話もある。一時的なリタイアで後者の生産性が回復するかというと、失われる傾向の方が高いように思う。

著者も「柔軟な働き方をすれば、暗黙知など、無形の資産も弱体化していく」と指摘している。特にコンサルタントや投資銀行などの高スキル職ほど、労働時間を減らすことによるペナルティーは大きい。

ドロップアウトした人には朗報

一方で、すでに会社を解雇されるか辞めてしまった不遇の人たちには本書が慰めになるかもしれない。一般的なキャリアから脱落することも、ここではポジティブな自己投資と考えられている。

ニートやスネップな人でも、「自分はエクスプローラーやインディペンデント・プロデューサーのステージを生きているのだ」と思えば、少しは前向きになれるだろう。時代に先行して、100年ライフを戦略的に生き抜くミレニアルなY世代だと考えてみればいい。

幸運にも寿命格差の上の方に行けると思えば、40歳くらいまではフラフラして定職に就かない方が、仕事の可能性や所得を上げられると考えることもできる。転職が多い人の方が所得が高いとか、経営者になりやすいというデータもある。

具体的な提案には乏しい

寿命が延びてどうするか?本書の主張として特に目新しいものはない。余暇の時間はなるべく消費でなく投資にあてるだとか、大学で学び直したりパートでいろんな仕事に関わってみるとか、しょせんその程度だ。

「中国の道場に少林寺拳法を学びに行く」とか変なオプションが提示されていたらもっとおもしろかったと思うが、LIFE SHIFTはあくまで優等生向けの書物である。ターゲットとしては、まさにビジネス雑誌を読むような中年サラリーマンなのだろう。老後の金策・健康問題は定番の特集テーマである。

「大学卒業から定年まで一つの企業に勤め上げる」という20世紀型の就労モデルは確かに崩れつつある。しかし実感としては、下手に不安定な転職やフリーランスを選ぶよりは、正社員を続けた方が精神的・身体的にも安定して所得も寿命も延びるのではないか、という感触もある。

昔のSF映画が描く将来像のように、理論的にはぶっとんだ未来を提示した方がおもしろい。しかし2001年になっても街の景観や働き方がほとんど変わらなかったように、寿命150年になっても社会や企業の仕組みは今のままと想像することもできる。

個人的には「どうせ低所得で早死にするから意味ない」と考えるのは悲しいので、せめてマルチステージ型の人生を先取りしているくらいの気概で余生を楽しく過ごしたいと思う。