かくてもあられけるよ

セミリタイアしてシェアハウスで暮らすノマドなミニマリストの株主優待日記

『限界費用ゼロ社会』失業者が増えるのは資本主義の終焉が原因かも

ジェレミー・レフキンの『限界費用ゼロ社会』を読み終えた。「モノのインターネットと共有型経済の台頭」という副題のとおり、IoTが普及するとモノやサービスの生産コストが限りなく少なくなり、資本主義経済が滅びて共有型経済に移行する、という趣旨の本であった。歴史の考察と統計データが膨大にあって読むのに骨が折れるが、要点はシンプルだ。

限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭

限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭

 

著者が主張するように、インターネットやクリーンエネルギーの勃興が第三次産業革命に相当する、というのが一般論になるかどうかはわからない。ただ、太陽光・風力発電がドイツを中心に予想以上のスピードで普及しており、導入コストが下がっていずれ化石燃料や原子力はエネルギー源として合理的な選択でなくなる、というのは説得力があった。

資本主義から共有型経済への移行

「行き過ぎた資本主義と物質主義がすたれて互助的な共有型経済に移り変わる」という予言は刺激的だ。IoTについては著者が主張するように、インターネットのように爆発的に普及する部分と、案外普及が進まない部分が出てくると思う。

それでも長期的スパンで考えると、より効率的で環境にやさしいソーシャルエコノミーがスタンダードになるというのは同感だ。ミニマリストというライフスタイルは一時のブームや趣味ではなく、脱物質主義の大局的なムーブメントであると考えることもできそうだ。

会社勤めしていた頃は、私生活で消費や買物が減るにつれて、高齢化とか人口減少以前に節約家が増えすぎてモノが売れなくなるのでは、と不安に思ったことがある。自社でつくっているサービスを「自分がお金を払ってまで使わないだろうな」と考えると、世の中に無駄なものを増やしているようでむなしく思われた。これも個人的な取り越し苦労というより、社会全体の本質的問題だったのかもしれない。

私生活でもシェアハウスで暮らしたりカーシェアを利用して、共有型経済のメリットを日々実感している。自宅で太陽光発電も試してみて、お金を払わなくても家電や照明を動かせるということに感激したものだ。

純粋なミレニアル世代より前の自分ですら、これだけソーシャルエコノーの恩恵を受けて暮らしているのだから、いずれ「勤め先の会社がなくなって協同組合や非営利組織で働くことになる」という未来も十分に考えられる。

広告、消費、物質主義の終焉

本書の内容は膨大だが、とりあえず13章と15章を読めばエッセンスがつかめると思う。「所有からアクセスへの転換」…自動車に象徴される効率の悪い「囲い込み」を放棄して(一日のうち92%の時間、車は使われていない)、家でも服でも個人の技能すらシェアする時代になる。Airbnbのほか、米国の様々なレンタルやシェアサービスが紹介されているが、地域通貨の代わりに労働時間を交換する「時間銀行」の概念は新鮮だった。

「広告の終焉」というパラグラフで、インターネット広告の成長率が頭打ちになっている事実が明かされ、アフィリエイターとしては将来に不安を覚える。ただし、これみよがしな企業広告が売れなくなって個人的なレビューや口コミが主流になるという話なので、何らかの形態で「ウェブで情報発信して稼ぐ仕事」は続いていくだろう。

資本主義が終わってモノが売れなっても、ニッチな分野で営利企業は生き残ると主張されているので、はなからロングテール狙いの個人事業や中小企業は、独占的な大手企業が解体されて、かえってビジネスチャンスが広がる可能性がある。

15章は「富と消費の増加は幸福度全体の限界収益の減少を引き起こす」として20世紀的な広告産業と消費生活が批判されている。「所有物が持ち主を所有する」というのはミニマリスト界隈でよく聞く言い回しだが、富の蓄積や浪費の常習化は「快楽の踏み車」であり中毒性をはらむようだ。年収2万ドルを境にそれ以上収入が増えても幸福への貢献度は減少する。さらに所得格差が大きい国ほど、各階層の不信感が増すため社会全体の幸福度が下がるといわれている。

最近の認知科学によると、人間は古典的な経済学が想定するような利己的存在ではなく、他者の共感を覚える能力があり、親交を求める社会的存在であると説明されている。21世紀初頭の大景気後退を経験したミレニアル世代には、物質主義に象徴される所有やステイタスに関する興味が希薄であるらしい。確かに年々、街中で高級車やハイブランドを見ても、「うらやましい」と思うより「前世紀のパラダイムだ」という違和感を覚えるようになってきた。過去の遺産や発明をリスペクトはするが、大金を払って自分で所有したいとは思わない。

『フリー』より過激な主張「財とサービスの無料化」

「生産効率化を追求した果てに、モノの値段が無料になる」というのはクリス・アンダーソンの『フリー』を彷彿させる。ただし『フリー』が主にデジタル・コンテンツやビット経済を対象としていたのに対し、本書はさらに進んでアトム経済も無料化すると主張する。いわゆるインターネットやウェブサービスの話は一部に過ぎず、エネルギーや輸送機関、インフラの共有と無償化をともなってこそ3度目の産業革命が実現するというのだ。

フリー[ペーパーバック版] 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

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IT企業で働く者にとって、『フリー』は「どれだけがんばって働いても報われなくなる」という絶望の書物であった。iPhone/Androidのマーケットが無料アプリに駆逐されたり、ウェブ広告やアフィリエイトの手数料率も下がってきたりして、ITで稼げなくなる風潮は日々実感している。個人プログラマーや大手企業が採算度外視で投入してくる無料サービスに追いやられて、普通にソフトをつくって売れる時代ではなくなってきてしまった。

『限界費用ゼロ社会』はもっと進んで「資本主義経済が衰退してみんな失業する」という予言から始まるのだが、実は「お金を払わなくてもモノとサービスが手に入り、他人とシェアすれば十分やっていける」という楽観的なビジョンも同時に提示している。IoTで生産の効率化が進み、分散型の再生可能エネルギーで電気代がタダに近づけば、グローバル規模の物々交換というか協同組合主体の自給自足経済が資本主義に取って代わるのだ。

私たちは、資本主義は空気と同じで自らの存続には不可欠であるという考え方にすっかり染まっている

会社で働いて給料をもらってモノを買う…誰もが当然のように考えているこの習慣が、実は歴史上もっとも普及した社会制度の一つに過ぎず、これから当然でなくなることもあり得る。確かに、満員電車で通勤するのは異様な忍耐を必要とする宗教的な儀式のように感じることもある。資本主義や物質主義は、現在主流の宗教の一派にすぎないのかもしれない。世の中に蔓延しているプロテスタント的倫理観がすたれて、禅とか老子とか「がんばらない」生き方が主流になる可能性もある。

資本主義の稼働ロジックは、成功することによって失敗するようにできている。

すなわち、生産コストを下げる競争過程でIoTとビッグデータの活用により、とうとう限界費用(1ユニットあたりの生産コスト)がゼロに近づく。すると、製品が無料になり利益も消滅して、営利企業は破綻し市場も不要となる、という推論だ。この極限状態はすでにケインズも予言していたことで、GDPの減少や失業という面ではネガティブにしか聞こえない。しかし、潤沢なサービスを無料で受けられるという面では、社会福祉全体が向上して人類が労働の苦役から解放されるというポジティブな響きも持っている。

資本主義の終焉とは皮肉にも資本主義の勝利でもあるのだ。格差も競争もない平等な世界…というと、なんとなく社会主義の停滞をイメージする。だが、再生可能エネルギーが無尽蔵にあり、新世代の人類は物欲が希薄、という条件のもとでは、官僚の腐敗や資源の囲い込みは起こらないのかもしれない。

「金銭的リターンのインセンティブがなくなって発明家や起業家がいなくなる」という反論に対して著者は、「人類の社会福祉向上というインセンティブを持ったプロシューマーが台頭するから問題ない」と答えている。いわゆる「仕事」がなくなっても趣味の創作活動は続くし、他者に貢献したいという欲求がある限り、イノベーションも生まれ続けるだろう。蒸気機関が単調作業から人類を解放したように、クリーンエネルギーをもとに超効率化したIoT社会は、労働そのものから人類を開放するともいえる。

これは本当に第三次産業革命か?

著者が定義するインフラとは以下の3要素で構成される。

  • コミュニケーション媒体
  • 動力源
  • 輸送

17世紀、中世後期の原初的産業革命では水力・風力の利用と印刷術の発明が、封建時代から市場経済への移行、ギルドの衰退をもたらした。18世紀後期からの第一次産業革命では、石炭を動力源とする蒸気機関、および電信と蒸気印刷機・蒸気機関車が資本主義の発達を促進した。19世紀末からの第二次産業革命では、石油と車、電話がそれらに取って代わる。いずれの革命でも、通信手段・動力源・輸送手段の3点で新技術の発明がきっかけになっている。

第一次・二次産業革命では、生産の効率化を図るために巨大な資本の投下と集中管理型のビジネスモデルが必須であった。原油の精製から石油製品の販売まで、徹底的に中間業者を排除したバリューチェーンを構築し、「規模の経済」を実現しない利益は見込めない。それがインフラ分野で垂直統合型の大企業が出現する要因になった。

一方で現在進行中とされる第三次産業革命では、第一次・二次とは逆に「分散・協働・水平展開」が特徴になるとされている。コミュニケーションについてはインターネットが促進、エネルギーは化石燃料から風力・太陽光へ、輸送方法もセンサとIoTで大幅に効率化する、という前提だ。コミュニケーション・インターネット、エネルギー・インターネット、輸送・インターネットという用語が出てきて混乱するが、要はインターネットを利用したスマートグリッドや流通管理によって、動力源と輸送手段も進化するという話だ。

さらに本書では、クリーンウェブ、エネルギーIT、クリーンITと、いろいろな用語が出てくるが、同じようなことを意味しているらしい。「プロシューマーのディーププレイ」という著者の造語は、説明も少なく意味不明だ。

ネットと再生可能エネルギーの普及について異論はないが、輸送業や流通過程が劇的に進化するという主張は、やや論拠が弱いと感じた。米国でのトラック積載率は現状で6割程度であり、これをハブ&スポーク型から分散型に変換し、倉庫や流通網を共有することで大幅に効率化可能とされている。また、車両の自動走行と組み合わせれば、さらなるリードタイムとCO2排出削減の効果を見込めるいわれる。しかしそのくらいでは「ADSLが光ファイバーになった」程度の改善に過ぎず、「産業革命」とまで言うには3Dプリンターが分子レベルのレプリケーターに進化して、一切の物流が不要になるくらいのインパクトが必要だろう。

一方、動力源が化石燃料からクリーンエネルギーに置き換わって、それが社会の構造を根本的に変えるというのは先見の明がある。営利企業でなくローカルな協同組合が水力や風力発電を所有して「エネルギーのプロシューマー」になる。まさに分散型、水平展開型の発電システムだが、今後ソーラーパネルや発電装置の価格が下がれば、草の根レベルで一気に普及するという予想は魅力的だ。そうなれば「原発が妥当かどうか」という問題が感情的な議論でなく、「原子力では経済的に元がとれない」という事実であっさり片付いてしまうだろう。

ミニマリストの理論武装に役立つ本

シェア型経済が勃興する背景には、限界費用に関する資本主義の構造的な問題だけではなく、「過剰や広告や消費生活についていけない」と人々の価値観が変わりつつあることも関係あるだろう。

今は「シェアした方が節約できる」という金銭的なモチベーションが大きいが、いずれ何でも他人と共有する生活が普通になれば、「まわりがみなやっているから」という群集心理的なインセンティブが働きそうだ。そうなれば、街中を見渡すとユニクロやGUを来たミニマリストばかり、というちょっと不気味な社会になるかもしれない。

現代人が封建時代の農奴制を野蛮だと思うように、未来の人類が市場経済やサラリーマンを振り返って、ひどい時代だったと考える時代がいつかやってくるに違いない。昨今のブラック企業批判にその萌芽が見られる。電通の鬼十則のようなものは過去の美徳になってしまった。

今後、失業者が増えたとしても、当人に問題があるとか景気が悪いとかでなく、社会構造自体の変化が原因である可能性はある。ケインズのいう「技術的失業」に見舞われたと思えば、開き直って農村で水力発電したりコミュニティーを開拓した方が実りあるかもしれない。

第三次産業革命がどこまで実現するかはわからないが、良くも悪くも資本主義が役目を終えた未来というのを想像するのはわくわくする。巨大文明が滅びて、ナウシカの風の谷のような分散型コミュニティーで人々が幸せに暮らしていそうだ。反資本主義なんて言うと時代錯誤の変人か世捨て人と思われそうだが、いずれ「正規社員を目指すのは時代錯誤」という、幕末のようなパラダイムシフトが起こるかもしれない。