かくてもあられけるよ

セミリタイアしてシェアハウスで暮らすノマドなミニマリストの株主優待日記

『敗者のゲーム』に学ぶインデックス投資の要諦と批判的試論

パッシブ運用の指南書として評価が高いチャールズ・エリスの『敗者のゲーム』。株式投資の参考書として紹介されることも多いが、皮肉なことに本書で徹底して伝えられるのは、「個別株投資はするな。インデックスファンドの長期投資でしか勝てない」というメッセージである。

敗者のゲーム〈原著第6版〉

敗者のゲーム〈原著第6版〉

 

要点はシンプルで「アクティブ運用は意味がない。おとなしくインデックスファンドでも買って寝かせておけ」という主張が何度も繰り替えされる。表現を変えながらあまりにしつこく説教が繰り返されるので、本書を読み通すとパッシブ運用に対する宗教的とでもいえる忠誠心を養うことができる。みづからをインデックス教に洗脳したいなら、数々の名言を暗記して食事の前や日曜日に唱えるべきバイブルだ。

ある程度投資の経験を積んでバブルや暴落の局面を目の当たりにした人には、しっくりくる内容だろう。逆に、株で一発当ててやろうという野心満々の人には、おもしろくもなんともない本かもしれない。本書でいわれる「敗者のゲーム」を長年続けて、辛酸をなめてきた人ほど身にしみる文章だ。いわゆる普通の株式投資をついに諦めて、悟りを開くことができるだろう。

『ランダム・ウォーカー』との違い

インデックスファンドを中心としたパッシブな運用方法を勧める本としては、バートン・マルキールの『ウォール街のランダム・ウォーカー』が有名である。

もはや古典といえる『ランダム・ウォーカー』の方は、ファンダメンタル vs テクニカル分析の欠点を比べたり、最近のポートフォリオ理論、資本資産評価モデルを取り上げたり、ややアカデミック色が強い内容であった。といっても、数式は相関係数くらいしか出てこないので読みやすく、バブルの歴史を知る上でも株式投資に関わるなら目を通しておいて損はない書物だと思う。

これに対して『敗者のゲーム』は基本的に同じ主張なのだが、たとえや引用が豊富でより文学的とでもいえる内容になっている。各所に投資に関する名言が散りばめられているので、本記事でもいくつか紹介したい。行動経済学がベースになっているので、株式投資だけでなく人生全般にあてはまる真理とでもいうべき知恵が秘められている。

本書が『ランダム・ウォーカー』と異なる点をあえて指摘するとしたら、チャールズ・エリスの方は「長期投資に限って」債券・不動産への分散より株式へ集中投資を勧めている。「長期運用に対するインフレのリスクに対応できるのは株式だけ」という論拠なのだが、株式100%なら他資産よりリターンは見込めるものの短期的なボラティリティは大きくなる。

バートン・マルキールが分散投資によるリスク軽減を重視しているのに比べると、パッシブ運用の中でもかなり攻撃的な投資スタンスといえる。インデックスファンドを論じた他の投資関連本でも、さすがに「ポートフォリオを株式100%で持て」と主張しているのは見たことがない。

敗者のゲーム(The Loser’s Game)とは

本書の素晴らしさはタイトルのネーミングにある。英語だと”The Loser’s Game”だが、これ以上短く的確に株式投資をとらえたキャッチコピーを自分は知らない。

オリジナルはサイモン・ラモの『初心者のための驚異のテニス』という本らしいのだが、アマゾンで検索しても翻訳が出てこない。原著は”Extraordinary Tennis for the Ordinary Tennis Player”という名前で、直訳すると「普通のテニスプレーヤーのための普通でないテニス」という感じで諧謔に富んでいる。ほかにもサミュエル・エリオット・モリソンの『戦略と妥協』や、トミー・アーマーの『ベスト・ゴルフ』という本が引用されていて、「敗者のゲーム」とはもともとスポーツの分野でいわれた表現らしい。

「プロは得点を勝ち取るのに対し、アマはミスによって得点を失う」…私たちはミラクル・ショットを決めようとするのではなく、とにかくミスの少ない、確実なテニスを目指すべきである。

これが株式投資にもぴったりの格言になるのは、すでに市場取引の95%をプロの機関投資家が占めるようになってきたからだ。best and brightestの優秀なファンドマネージャーがしのぎを削る世界で、個人投資家が長期的に勝ち続けるのは難しい。さらにIT技術の進歩でより多くの情報が即座に共有され取引も高速化した今となっては、「市場の効率化」は高度に完成してしまっている。

ランダムウォークする株式市場はもはやラスベガスのカジノと変わらない。素人がプロのディーラーにかなうわけはないし、手数料分確実に損するゼロサム・ゲーム以下のマイナスサムとういわけだ。この世界で生き残るには、プロ投資家が取れない戦略、すなわち長期投資で市場全体に分散投資するしかないという話につながる。

ミスター・マーケットとミスター・バリュー

元はベンジャミン・グレアムの『賢明なる投資家』から出てくる表現のようだが、巻末の推薦図書に挙げられているダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』の「システム1 とシステム2」をイメージさせる。

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

乱高下して投資家を翻弄するミスター・マーケットに惑わされず、地道に生産を続けて利益を分配するミスター・バリューに注目せよという趣旨だ。ミスター・マーケットには、心理学でいうシステム1のようなポジティブな役割はなく、投資においてはノイズでしかない。

『ランダム・ウォーカー』でも行動ファイナンス理論の紹介に1章が割かれていたが、本書でも投資家心理の説明として行動経済学の知見がふんだんに用いられている。個人投資家が陥りがちな傾向として、以下が挙げられる。

  • 「平均への回帰」という社会科学の原則や統計的な確率を無視する。
  • 自分の判断力を過信する。当初の判断を正当化する材料ばかり探す。
  • 新しい情報に過剰反応する。
  • 自分は他の投資家よりすぐれていると思い込む。

心理学系の本でよく指摘されるおなじみの内容だが、株式市場においては群集心理が強く働くので、こうした傾向がより顕著に観察されるのかもしれない。その意味では、株式投資を通じて人間の心理に関する禅のような洞察を学べそうで興味深い。

インデックス投資はやはり宗教だ

乱高下する東芝株で一山当ててみたくなったり、トランプ景気で個別株を売買したくなる誘惑に耐え、ひたすらインデックスファンドやETFを持ち続ける(ドルコスト平均で積み立て続ける)というのは、並大抵でない忍耐力を必要とする。

最大の問題は、市場変動に耐えて株式を長期保有すれば、そのリターンが債権を上回るか、ということではない。投資家が期待リターンを実現できるほど株式を長期保有できるか?ということだ。我々の問題であって、市場側にあるのではない。

数年単位で原価割れしても、超長期では「平均に回帰する」と念じて…いやむしろ暴落時こそチャンスとよろこんでファンドにお布施を包む。その見返りは数10年後にあの世で、あるいはあなたの子孫にとって報われることになるというストーリーを信じることができるだろうか。

大暴落の後で、投資家がとるべき道は二つある。長期的な政策資産配分比率にまで株式比率を引き上げるか(リバランス)、むしろ株式への配分比率をそれ以上に引き上げるかである。

ここにきていよいよ長期運用の心構えが「宗教がかってくる」と感じるポイントがある。「もしインデックスが下がって損したと感じたら、それはあなたの忠誠心が足りない証拠だ。マーケットの神が信仰を鍛える試練をくださったと思って、よろこんで投資を続けよう」そんなうさんくさいメッセージが伝わってくる。

あえてインデックス投資を批判的に考えてみる

どれだけ分散投資したとしても、インフレリスクと並んで市場全体が低迷するマーケットリスクは回避できない。「バックミラーを見ながら運転する」のは実際イメージすると不可能だと思うのだが、この表現がインデックス投資そのものにも当てはまると考えるのは自分だけだろうか。

『ランダム・ウォーカー』でも『敗者のゲーム』でも根拠になっているここ100年間の株式市場全体の成長が、数100年のスパンで見たらイレギュラーな現象である可能性は?アクティブファンドを否定するのと同じ理由で、少なからず手数料を取られるパッシブファンドも超超長期ではマイナスのリターンになるのでは?

「効率的市場」おける価格形成が常に正しいとは限らない。…総体としての投資家も、しばしば判断を間違える。しかしその場合も、いずれはさまざまな情報に基づく売買が始まり、行きすぎの訂正が起こる。その意味で十分「効率的」といえる。

バブルや大不況さえも景気変動の一部にすぎないと考えれば、「長期的には」効率的市場仮説は正しいと言わざるを得ない。どことなく「エントロピー増大の法則」を思い出させるこの表現は、宇宙全体の熱的死=株式市場全体の終焉をイメージさせる。

日本沈没』のようにSF的な思考実験で、いまだ人類が遭遇したことがない、二度の世界大戦を超える未曽有の経済危機が、今後数百年の暗黒時代をもたらす可能性はないだろうか。うがった見方かもしれないが、『限界費用ゼロ社会』で説かれているように今世紀半ばには資本主義経済自体が役目を終えて、社会主義でもない共有型経済が世界を席巻するとしたら、株式市場自体が消滅してしまうだろう。

80年代末の日本のバブル期には、「銀行にお金を預けていた人が一番リターンがよかった」という冗談のような歴史的教訓もある。もちろん「預金はインフレに対処できない」という反論があるのだが、株式市場全体が壮大なゼロサムもしくはネガティブサムに向けて平均回帰する可能性もなきにしもあらずだ。

真のインデックス投資家が持つべき視点

「効率的市場」が仮説にすぎないように、「長期分散投資が唯一の正義」という主張がうさんくさく感じるときもある。『ランダム・ウォーカー』ではまさに思考停止(No-Brainer)な投資法と表現されていたが、本当の信者なら思考停止せず、硬直化した教義自体を疑う視点を持ち続けた方がよいのではないだろうか。

たとえば自分も、楽天証券の個人型DCでセゾン投信が扱われるようになったので、実験と思ってアクティブファンドにも投資を始めてみた。本書で「価値を生まない」とさんざん批判されているコモディティーのETFにも、実は手を染めている。

「真の分散投資家は、アクティブファンドも含めて世の中に存在するすべての金融商品に分散投資すべきではないか」という仮説を考えている。

チャールズ・エリス名言集

最後に、『敗者のゲーム』に出てくる名言集をまとめてみたい。チャールズ・エリスはキャッチコピーの天才ではないかと思う。後世の投資業界でシェイクスピアのように長く語り伝えられそうな格言ばかりだ。

インデックス・ファンドは、面白くもおかしくもないが、とにかく結果が出る。

難しいことが重要なこととは限らない。医学において、手を洗うことは、ペニシリンに次いで命を救う方法だった。

年老いた(old)パイロットや、向こう見ずな(bold)パイロットはいるが、向こう見ずで長生きしたパイロットはいない。

投資は娯楽ではない。責任である。投資家は本来「エキサイティング」なものでもない。むしろ原油の精製や、ICの製造工程のように、じっくり腰を据えて取り組むべき作業なのだ。投資がエキサイティングになってきたら、何かが変だと思う必要がある。

投資家が避けるべきリスクを次に列挙しておこう。「むやみにがんばりすぎる」

防御は最大の攻撃である。投資においては高いリターンを求めることより、リスクを、夜よく眠れる水準にとどめることのほうが大事なのだ。

市場に勝とうとする運用は、いつも法定速度より時速10キロ上回って運転するようなものだ。運転で求められるのは、道を間違えずに、ほどほどのスピードで運転し、決して大事故を起こさないことである。投資も同様だ。

一般的に投資家は、バックミラーを見て運転するように、上げ相場ではさらに上昇を見込み、下げ相場ではさらなる下落の力が働くと考えがちだ。

有名な「バックミラー運転」の比喩。後ろを見ながら前に車を進めるのは想像以上に危険だ。

「リスクのように見えるもの」が真のリスクかどうかは、投資期間によって決まる。

直観を信じて投資してはいけない。うまくいって有頂天の時は、大火傷が待っていると思ったほうがよい。落ち込んだときは、夜明け前が一番暗いということを思い出そう。そして、何もしないことだ。売買は運用のプラスアルファの部分にすぎない。

市場を上回るという「敗者のゲーム」に勝つことは簡単である。そんなゲームに参加しないことだ。

もはや禅問答のようだ。そして終章最後のメッセージにはユーモアもある。

やがてそのうち、1人の投資家を除いて、すべての投資家がインデックス・ファンドを使うようになるかもしれない。そうなったらその最後の1人は大儲けするだろう。そうした事態になったら、ぜひ連絡してほしい。